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知恵の樹 第一章−<いかにして知るのか>を知る

 

「ある人の<確信>の経験は、ほかの人々の認識行為にたいしては盲目な孤独の中で営まれる、個人的現象にすぎない」
 
その例
 
 黒点の消滅現象
 
黒点の映像は、網膜上のちょうど視神経がそこから出ている部分に投ぜられることになるから。視神経の束の付け根に当たるその部分は光を感知しない→<盲点>
 
#では、なぜその大きさの黒い点が、いつも視界に入ってこないのか?
 
私たちは、自分が見えていないということが見えていない
 
 <色彩の影>現象
 
赤い光と白い光を混ぜて、そこに影を作ると影の一つは青緑に見える。光の波長を測定すると白色光本来の波長しか測定されないのだが、それでも私たちの目が青緑色を体験していることは否定できない
 
 
「<対象物の色彩はそれらの対象物からぼくらが受け取る光の性質によって決定されている>と考えるのをやめることだ」
 
色彩の体験が、いかに神経システムの活動状態の、システムの構造そのものによって規定された特定のパターンに対応しているのかと言うことを理解するようつとめなければならない
 
「ある色彩を何色と呼ぶかは、ニューロンの状態とは関連づけることは出来るが、波長とは関連づけることはできないのだということは証明できる。…いま述べたことは、視覚的経験のあらゆる次元(動き、構成、かたちなど)にあてはまるし、さらには視覚以外のいかなる知覚様式にもあてはまる」
 
 
ブロンクス動物園の展示
 
「反省的思考(refrection、=反映)とは、ぼくらが<いかにして知るのか>を知るプロセスのことだ。それは自分自身に向かって帰還してゆく行為だ」
 
エッシャーの「描き合う両手」
 
アクション(おこなうこと)と経験(しること)の円環性、分離不可能性

それぞれの認識行為はひとつの世界を生起させる
 
 
「すべての行動は認識であり、すべての認識は行動である」
(おこなうこと=しること)
 
「言われたことの全てには、それを言った誰かがいる」
(描写にはつねにそれを行う主体、観察者がいる)
 
 
「あらゆる反省的思考は、ひとつの世界を生起させる。そういうものとして、反省的思考は、ある特定の場所である特定の誰かが行った、具体的な人間によるアクションなのだ」
 
 
認識という現象−この<ひとつの世界を生起させること>−における「おこなうこと」(実践)の一般的な性格を詳しく調べるのがこの本の目的

知恵の樹 第一章−<いかにして知るのか>を知る