Back TopPage    
ベンヤミンと視覚的無意識 長谷正人
http://www.apn.co.jp/photo/ipmj/eizou/eizou20.html 千葉大学文学部社会学・映像文化論

 ベンヤミンによる映像の議論(「複製芸術時代の芸術作品」を中心とする)は、なぜかいつも「アウラ の喪失」をキーワードにして紹介されることになっている。ベンヤミンの芸術論の、現代に通ずるような 先見性と意義は、「アウラの裏失」を論じたところにあるのだと。例えば、そうしたベンヤミン諭は、( 私流に言えば)以下のように展開することができるだろう。一一伝統的に芸術作品は、それを享受する人 々に対してある種のアウラ(つまり神秘的な光=オーラ)を発していた。つまり芸術作品を見ることは、 もともとはその神秘性を発揮する絵画や彫刻を唯一無二の存在として「礼拝」的に崇め奉ることだった。
しかし複製技術としての写真と映画は、その「唯一無二性」を芸術作品から奪い取ってしまう。たとえば 、写真によって、いつでもどこでも見ることができるようになったダヴィンチの「モナリザ」は、ルーヴ ルに行かないかぎり見ることのできなかった貴重な有難みなどない、平凡で大衆的なイメージにすぎない だろう。いまやルーヴルに行って「モナリザ」を見た人間さえ、「写真そっくり」と確認して安心するだ けである。複製芸術時代の芸術作品は、こうして宗教的特権性=アウラを喪失するのである。一一こんな 具合だ。
 確かにベンヤミンは、このように言っている。だが、それは彼の議論のそれほど面白くない部分だと私 は思う。私たちは、ベンヤミンの映像論の別の、もっと興味深い側面を取り出すことにしよう。その場合 のキーワードは、「アウラ」ではなく「無意識」でなければならない。例えばベンヤミンは、「カメラに 語りかける自然は、肉眼に語りかける自然と異な」り、「人間によって意識を織り込まれた空間の代わり に、無意識が織り込まれた空間が立ち現れる」(以上、「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミンコレク ションI』ちくま文庫所収、619頁)と論じている。私たちが注意したいのは、この「カメラ」に写し出さ れる視覚的空間としての「無意識」である。
 では、その「無意識」とは何なのか。それを考えるために、まずは「肉眼」で捉えられた意識的空間の 方から考えることにしよう。私たちが「肉眼」で世界を見るときには、必ず自分にとって必要な情報だけ を選択して見ているはずである。食卓についてご飯を一口食べようとする瞬間、私たちは箸でつまむべき 「ご飯粒の固まり」と「箸の先っぽ」だけを意識して見ている。もちろん、本当はそこには、テーブルの 「染み」も茶碗の欠けた所も醤油ビンも全く等価なものとして存在しているはずだ。にも関わらず、私た ちはそれらを「ご飯を食べる」という行動にとって不必要なものとして認識から排除してしまうのである 。もし、「染み」と「ご飯粒」を等価に見つめていたとしたら、私たちは箸で御飯をつまむこともできず に茫然とするしかないのだから。これがベンヤミンの言う、「肉眼」に語りかける「意識を織り込まれた 空間」である。
 これに対してカメラは、どうだろうか。カメラは、眼の前にあるものを取捨選択することなく全て平等 に捉えてしまうだろう。そもそもカメラはご飯など食べなくてもよいのだから、「彼」にとってご飯粒と テーブルの染みは等価な存在でしかない。従ってもし、私たちがご飯を食べるときの視界を同時にカメラ によって撮影してみると、そこには私たちが気付くことのなかった様々なもの(つまり「染み」やら醤油 ビン等)がびっしりと写し込まれているはずである。これこそをベンヤミンは「無意識が織り込まれた空 間」と呼んでいるのだ。つまりカメラは、私たちが見てはいても見たことに気づいていないもの(=無意 識的に見たもの)の存在を教えてくれるのである。
 ところで、このような「視覚的無意識」としての写真は、私たちにどのような意味を持つのだろうか。
それを私は、ベンヤミンのボードレール論(「ボードレールにおけるいくつかのモチーフについて」同上 書所収)を利用して考えたいと思う。ここでベンヤミンはフロイトとプルーストとベルグソンを援用しつ つ「無意志的記憶」について論じているのだが、写真とはまさに、この「無意志的記憶」だと思われるか らだ。ベンヤミン=プルーストによれば、「無意志的記憶」とは「はっきりと意識をもって<体験された >のではないもの、主体に<体験>として起こったものではないものである」(427頁) 従ってもちろ ん、それは意識的な記憶としては私たちの頭に全く残っていない。にもかかわらずそれは、最も強力に記 憶の無意識の中に残存して、私たちの心に思わぬ効果を及ぼすのだ。私たちの馴染みの言葉を使えば、「 トラウマ」である。例えば、大震災のなかで両親が死ぬ所を見てしまった子供がいるとしよう。しかしあ まりの恐怖に、彼はそれを「見て」いながら、見たことを抑圧してしまう(刺激防御)。だから彼はそれ を意識的記憶としては持っていない(自分はそんな場面を見たとは思っていない)。しかし「無意志的記 憶」として意識の奥底に強力に残存していたその記憶の光景は、日常生活の中のふとした隙間において、 意識の表層に噴出して彼の心をパニックに陥れるのである。
 写真もまた、私たちが確かに「体験」したにもかかわらず、「認識」できなかったものを捉えているの だった。そしてそれを、私たちの「意識」の外部にある種の「記憶」として残している。例えば自分の過 去を提えたアルバムは、ある意味では外部化された「無意志的記憶」の収蔵庫とも言えるだろう。だから 事実私たちはときどき、自分で忘れていたはずの「過去」の自分の姿をそこに見いだして、飛び上がるよ うな恥ずかしさを感じたりするのである。こうして、写真は私たちの「心」にショックを与える「トラウ マ」だと言うことが可能となる。
 だが、にもかかわらず、実際には多くの場合私たちは、微笑みながら自分の過去の写真を愛しげに見て いるだろう。まるでそこには、私たちが日常的に慣れ親しんだ「意識を織り込まれた空間」が写しだされ ているかのように。つまり私たちは、写真自体が持っている「無意識性」の不気味さを見ない習慣を持っ てしまっている。写真など、私たちが意識的に撮影しようとした現実世界を物質的に残したものにすぎな いと信じて、嘗めてかかっているのだ。だが、こうした抑圧作業はいつか裏切られ、写真という写真が「 トラウマ」として私たちに襲いかかる日がやって来ないともかぎらない。たとえば心霊写真は、そうした 症例の一つかもしれない。それは、私たちが記念撮影として捉えた人物像の背後に「気付かぬうち」に写 ってしまった訳の分からないものに注意を向けたときに成立するものだろう。だから、ここには何か、カ メラの「無意識性」に対する鋭い感受性が隠されているように思われるのだ。こうして全ての写真を心霊 写真として眺めるようになったとき、私たちは「無意識を織り込まれた空間」としての写真に正面から向 き合っていることになる。むろんそのとき私たちは、少しばかり狂気の世界に足を踏み入れているだろう

アウラの消滅について

http://www.sfc.keio.ac.jp/‾ntaishi/hukei/aura.html
—写真のデータベース化によって記憶・歴史の「共有」は可能なのか?—
西 泰志
1997年11月
はじめに

この文章で考察したいのは、「岐阜20000日プロジェクト」が意図するところの「記憶、歴史の共
有」が果たして「写真のデータベース化」によって可能なのかどうか、あるいは、もし可能だとしても
そのとき実現されると考えられる「記憶、歴史共有」が一体何を意味するのか、ということである。も
っとはっきり言ってしまえば、「データベース化」をそのまま「記憶や歴史の共有」と考えていいのか
、ということである。

結論を言えば、私自身は、写真のデータベース化によって人々の記憶や歴史の「共有」を可能にすると
いうことに対して懐疑的な意見をもっている。あるいは、そこで実現される状態を仮に「記憶や歴史の
共有」と呼ぶことができたとしてもそういった類の「共有」に批判的な認識(*行動ではない)をもっ
ていたいと思っている。そしてこのプロジェクトの作業を続けるにしても、少なくとも、そういった手
段による「記憶や歴史の共有」が何を意味するか、意味するだろうか、ということについて自覚的であ
りたいと考えている。

この文章を書く気になった直接の動機は、1997年の11月に岐阜県の神岡を訪問し、そこに住んで
いる方々の持っている昔の写真を、それにまつわるお話を聞きながら拝見させていただいたという経験
にもとづいている。こうした経験、こうした経験の反芻を通じて、はじめてベンヤミンが 「複製技術時
代の芸術」で述べていた「アウラの消滅」が何を意味するのか自分なりに理解できた、ということで、
その理解を文章にしてみようというわけである。

ではその理解とはどういうことかというと、ベンヤミンの取り上げた「本物の芸術作品」と「複製」(
写真による画集など)の関係が、ちょうど「個人が所蔵している写真」と「そうした写真のデータベー
ス化」の関係に対応するのでは、ということである。

写真撮影ではなく、写真をデータベース化する際に問題となるアウラの消滅

「複製技術時代の芸術作品」におけるベンヤミンの議論では、写真は写真としてひとまとめに扱われて
いる(そこにベンヤミンの議論の弱点があると思われる)。そのため安易な読解をすれば、「写真は複
製技術」→「したがってあらゆる写真はアウラをもたない」という図式ができあがる。すなわち写真に
おいてはアウラははじめから問題とならないというわけである。しかし、アウラの消滅の議論は「芸術
作品の複製としての写真」(実際、こちらの方がベンヤミンの議論の本題だが)には当てはまっても「
自然物の複製としての写真」、つまり人物や風景を写した「ふつうの写真」にはそのまま当てはまらな
いのではないか、というのが私の理解である。つまり「芸術作品の複製としての写真」ではなくて「ふ
つうの写真」の方はアウラを、歴史をもちうるのではないか、ということである。(詳しくは風景論関
係文献の消化で「複製技術時代の芸術作品」をとりあげた際に論じています)

私の考えでは、ふつうの写真、つまり人物や風景の写真においては、写真を撮影したり、それを所持し
ている時点ではなく、むしろそうした写真をデジタル化してインターネットなどに載せるというように
「データベース化」するときにこそ、アウラの消滅が本質的な問題として生じてくる。

アウラとは何か?—本来切り離し得ないはずの「文脈」「伝統」「歴史」

ところでそもそもアウラの消滅とは何を意味しているのであろうか。

「どんなに完璧な複製においても、欠けているものがひとつある。芸術作品のもつ<いま
—ここ>的性質—それが存在する場所に、一回的に在るという性質である。しかし、ほか
ならぬこの一回的な存在に密着して、その芸術作品の歴史が作られてきたのである。その
歴史に作品は、これまで存続してきたあいだ従属してきたわけである。時がたつにつれて
作品の物質的構造がこうむる変化にしろ、場合によっては生じる作品の所有関係の変遷に
しろ、その歴史の一部である。物質的構造の変化の痕跡は、物理学的ないし化学的分析に
よってのみ明らかになるが、これを複製に対して行っても仕方がない。所有関係の変遷の
痕跡は、ひとつの伝統の問題であるが、この伝統を追跡するためには、オリジナルが存在
している場所から出発せざるをえない。」(「ベンヤミン・コレクションⅠ」、ちくま学
芸文庫、p.588)

「ある事物の真正さとは、この事物において、根源から伝承されうるものすべてを総括す
る概念であり、これにはこの事物が物質的に存続していることから、その歴史的証言力ま
でが含まれる。後者つまり歴史的証言力は、前者つまり物質的に存続していることに基い
ているから、物質的な存続が人間に依存しなくなってしまっている複製においては、この
事物の歴史的証言力もまた揺らぎ出す。もちろん揺らぎ出すのは歴史的証言力だけである
。しかしそのようにして揺らぎ出すもの、それは事物の権威、その伝統的な重みである。
」(同前、p.589-590)

ベンヤミンは、芸術作品の「物質的構造の変化の痕跡」と「作品の所有関係の変遷」に、その作品の歴
史・伝統があり、そうした歴史・伝統にこそアウラ、歴史的証言力が宿っているとしている。ところで
、今回私が神岡を訪問し、そこに住む方々が所蔵している写真を、それにまつわる話を聞きながら拝見
させていただくなかで触れたのは、まさにこうした写真のもつ歴史・伝統、つまりアウラである。

拝見させていただいた写真には、撮られた年代ごとの「物質的な特徴」があった。最も古いものは明治
10年代の写真で、木枠のなかのガラスに人の像が黒く描かれているものだった。これは「湿版写真」
というものらしい。そしてそのほとんどがスタジオ内で撮影された「肖像写真」である。つづく明治2
0年代〜明治40年代の写真は、厚紙の「額」のようなもののついた黄色かがった写真である。これは
「鶏卵写真」というものらしい。この時期のものもほとんどが「肖像写真」である。この時期のものも
スタジオ内で撮られたものが多いが、戸外で、つまり「日常」のなかで撮られた写真もある。また人に
よっては周りの風景を写真におさめていたようで最も古いものでは、明治22年に撮られた「風景写真
」があるということだ。大正期・昭和期に入ると、今日の写真とほとんど同じようなものになるが、そ
れでも、「大きさ」や「縁の切断の仕方」から「誰がいつ頃撮影したのか」判断できる。私自身も慣れ
てくると、「この写真は、おじいさんのお父さんがだいたい大正期に撮ったものですよね」というよう
に推測できるようになった。つまり、複製技術としての写真であっても、年代ごとの物質的な特徴、写
真の裏への書き込み、写真の損傷の程度には、まさにベンヤミンのいう「物質的構造の変化の痕跡」を
感じることができるのである。

と同時に、こうして写真にまつわる話をお聞きするなかで触れたのは、ベンヤミンの言葉を借りれば「
写真の所有関係の変遷」である。そもそも当時写真を個人的に撮ることなの珍しいことだったので、自
ずとそれぞれの写真にはそれを撮影した人とそれを所持している人にまつわる話が存在する。「これは
うちのおやじが○○に行ったときに写したもので、ここに写っているのはわたしです。おやじは写真を
とるのが好きで、だからわたしもまねごとみたいのをしておりました」とか、「うちのおやじと坂下と
、坂下っていうのはさっき見せた写真集を出した人のおやじだけど、住田という、これもさっき見せた
戦争中の支那の写真を送ってきた人のおやじだけど、この3人が友達でなかがよかったんです。それで
とくにうちのおやじと坂下のおやじが写真が好きで、よく山に登って写真を写真をとりにいったんです
わ」とか、「あそこにかかっている写真があるでしょう。あれはだいたい大正のころに撮ったものだけ
ど、ぜんぜん色が変わっていないでしょ。あれは水洗いしているからなんだけど、うちのおやじは「ど
うやったら写真が変色しないか」なんてことを熱心に研究しておったもんで、まあそれだけ写真に熱中
していたということですな」などというような話になる。

要するに所蔵しておられる写真を拝見するには、写真だけを切り離して見ることは出来ず、自然とそれ
にいろいろまつわる話、その方の、その方の両親や家族の話を一緒に聞くこととなった。1枚の写真が
次から次へとさまざまな記憶を喚起するからだ。そのため1枚の写真を拝見するには時間がかかり、相
手の話のすべてに耳を傾けるとなればいくら時間があっても足りないくらいだった。大量の写真を集め
ようとする立場から言えば、それはほとんど「非効率的」といってもよい作業である。実際私も、最低
限お借りする写真の日付と場所の特定作業をどうしても終えなければならなかったので、結果的に相手
の話を途中と遮る恰好となることがしばしばあった。しかし当人にしてみれば1枚の写真はそれにまつ
わる文脈と切り離せないもので、「これはいつ頃どこで撮られたものですか?」と尋ねられれば、「こ
こに写っているのは、わたしが若い頃下宿していた家で、あっ、そういえばこの家は確か”たどん”を
つくっていまして…、ところであなたたどんはご存知ですか?たどんというのは炭のだんごみたいなも
ので、昔はこたつなんかに使ってたもので、この辺でもこたつはほとんどたどんでしたわ…」という具
合になる。

データベース化の意味—「内容」の「文脈」「伝統」「歴史」からの切断

このように私は写真を拝見するとともにいろいろな話をお聞きすることになったのだが、その後に私た
ちが行う作業、すなわちそうした写真をデジタル化してインターネット上に載せるということは、まさ
にこういった「非効率的な過程」なしにいつでも誰でも自由にそうした写真を手に入れられるようにす
ること以外の何物でもないだろう。もちろんそこにはこういった「秘蔵写真」に誰でも接近できるよう
になるという意味で「開放的な側面」がある。が、同時に写真を、その写真の、本来切り離すことので
きないはずの「文脈」「歴史」「伝統」から切り離すことでもあるのだ。これこそまさしくベンヤミン
が「アウラの消滅」とよんだ事態である。

「複製技術は—一般論としてこう定式化できよう—複製される対象を伝統の領域から引き
離す。複製技術は複製を数を多く作り出すことによって、複製の対象となるものをこれま
でとは違って一回限り出現させるのではなく、大量に出現させる。そして複製技術は複製
に、それぞれの状況のなかにいる受け手のほうへ近づいてゆく可能性を与え、それによっ
て、複製される対象をアクチュアルなものにする。」(同前、p.590)

「とりわけ、技術的複製によってオリジナルは受容者のほうへ歩み寄ることができるよう
になる—写真というかたちであれ、あるいはレコードというかたちであれ。大聖堂はその
場所を離れ、芸術愛好家のアトリエで受容される。ホールあるいは野外で演奏された合唱
曲は、部屋のなかで聴かれる。」(同前、p.589)

ところで「歴史や記憶の共有」とは一体何を意味しているのだろうか?本来それは私が経験したように
写真とそれにまつわる話を直接に聞くことによってしかありえないのではないか。つまり「歴史や記憶
の共有」といったことは「語る人と語りに耳を傾ける人」のあいだにしか存在しないということである
。言い換えれば、それは写真とその写真にまつわる話が切り離せないという意味での「文脈」「歴史」
「伝統」があってはじめて可能なことなのだ。

写真の「データベース化」が「歴史や記憶の共有」だということが言われるが、「個人がいつでも写真
を手に入れられること」をそのまま「歴史や記憶の共有」だと称することはできないのではないか。む
しろそれは「文脈」「伝統」「歴史」を、「歴史や記憶の共有」を否定することのように思えてくる。

擬似的な「記憶や歴史の共有」—「近代的な手法」による「伝統的な内容」の伝達

写真を「データベース化」する場合、確かにそこで伝えられる「内容」は「伝統」的、「歴史」的なも
のである。けれどもその「伝達様式」は「近代的」、すなわち「直接的な伝達」(=語り)の否定、「
文脈」「伝統」「歴史」の否定である。それはちょうど近代ナショナリズム(=想像上の歴史や記憶の
共有)が「伝統的な内容」を「近代的な手法」によって、すなわち「間接的」に、「バーチャル」に伝
達したことと酷似している。そこでは一見「伝統的な内容」によってあたかも「歴史や記憶の共有」が
あるかのようだが、実際は個々人は「地域や生活の基盤」、「文脈」「伝統」「歴史」といったものか
ら断絶している(近代ナショナリズムの成立において「個人化」とともに「全体化」が生じたという議
論があるがそれはまさしくこのような事態を対象としている)。この「断絶」を埋め合わせる、埋め合
わせたようにみせるのが「メディア」(間接的媒体)である。あるいはむしろ「メディア」(間接的媒
体)が「断絶」、すなわち「文脈」からの切り離しを生じさせるのかもしれない。

いずれにせよ、そもそもから「メディア」が「直接的な語り」、すなわち「文脈」「歴史」「伝統」の
否定であるならば、「内容」として「生活」といった身近なものが持ち出されても、それは「生活」と
いったものまでも、日常的な直接の経験や世代間の直接的な対話ではなく、「メディア」によって伝達
されるような事態になったということでしかないのではないか。あるいは「生活」を「メディア」が対
象としはじめたこと自体、日々繰り返される「生活」に、すなわち人々が日常の生活のなかで直接的に
感知できたような歴史や伝統に亀裂が生じていることの証ではないのか。もしそうならば、「メディア
」が「生活」を取り上げることに何らかの意味があるとしても、それによって「記憶や歴史の共有」を
補うことはできないだろう。「メディア」は決して「直接的な語り」の代替をすることはできないだろ
う。

「データベース化」自体ではなく、「データベース化」を「記憶や歴史の共有」と意味づけることへの批判

もちろんメディアの発達の流れはもはや抗うことのできないものである。ベンヤミンも複製技術の発達
による「アウラの消滅」を嘆きつつも、この流れ自体を否定することはなかった。むしろそこにあえて
「大衆への接近」という積極的な意味を見出そうとした。しかし重要なのは、複製技術の発達の流れを
必然なものとみなしながらもベンヤミンが「アウラの消滅」というマイナス面についての認識を失って
いなかったことである。(しかも複製技術の「大衆への接近」という利点も、後にナチによって「大衆
の動員」に利用されることになってしまった。ベンヤミン自身もその危険を認識していたのだが…。)

私は写真を「データベース化」すること自体を否定しているのではない。個人の側から見れば、これま
でなら面倒な手続きなしには見ることのできない写真を「いつでも自由に」に入手できるというのは魅
力的であるからである。しかしこのような「データベース化」に「記憶や歴史の共有」という「意味づ
けをすること」に批判的なのである。


「写真による歴史」について—1997年11月時点での考察

http://www.sfc.keio.ac.jp/‾ntaishi/hukei/kosatu.html

—「カエルの目玉」とカメラの視線—
「カエルはねえ、止まっているものがうまく見られないんだよ。ハエとかカとか、動いてい
るものの方が、カエルさんは見やすいんだって。止まっているのを見ようとしてもカエルさ
んにはぼんやりしちゃうんだって」
「ホント?」
と息子が美紗ちゃんに確かめると、美紗ちゃんは「そうなんだって」と言った。
「だからね、物事が変化してないとつまらないと思うアタマはカエルの目玉とおんなじこと
だって…」
(保坂和志、小説「季節の記憶」)
これまでの文字中心の歴史は、まさにこのような「カエルの目玉」で物事を眺めてきた。「著名な人物」
や「大きな事件」というような「動いているものの方が見えやすかった」のでこうしたものばかりに眼を
奪われ、「止まっているもの」、つまり人々の日常生活の方は「うまく見られなかった」。「物事が変化
しない」日常生活は「つまらない」ものでしかなかったのだ。しかし「意識的」なメディアである文字が
「意識」にのぼりやすい事象ばかりに囚われたのも無理のないことだったのかもしれない。

こうしたことの非は歴史家だけにあるわけではなく、日常生活は、それをつづけているかぎりは、それを
営んでいる当の人間にとってもさして気に留めるまでもないもの、いわば「つまらない」もので、誰しも
普段は「カエルの目玉」で物事を眺めている。

けれども、日常生活は本当に変化していないのだろうか。「カエルの目玉」に「止まっている」ように見
えるだけで、実はそれすらもゆっくりとしながらも確実に変化を遂げているのはないか。長い時間を経て
はじめて感じ取れるような変化として…。

そして、写真こそがこうした変化を捉えることができるのではないか、と私たちは考えるのである。

カメラに語りかえる自然は、肉眼に語りかける自然とは当然異なる。異なるのはとりわけ次
の点においてである。人間によって意識を織り込まれた空間の代わりに、無意識が織り込ま
れた空間が立ち現われるのである。
(ヴォルター・ベンヤミン、浅井健二郎編訳、久保哲司訳、「写真小史」)

写真は、それを撮影する者が気づかなかったものまでを無意識のうちに取り込んでしまう。つまり「カエ
ルの目玉」が気づかないものを私たちに伝えてくれるのである。そうであるからこそ、「止まって」みえ
るほどあまりにゆっくりなので、普段は人々の意識にのぼらないような変化をも写真は捉えることができ
るのである。私たちが写真を使って喚起しようとしているのは、このようなゆっくりとした「歴史」や「
時間」の「流れ」というか「厚み」である。

—写真が喚起する歴史・時間—

けれども「複製」である写真に「歴史」や「時間」を伝えることができるのだろうか。それはまさしくベ
ンヤミンが否定したことではないのか。
ある事物の真正さとは、この事物において、根源から伝承されうるものすべてを総括する概
念であり、これにはこの事物が物質的に存続していることから、その歴史的証言力までが含
まれる。(中略)物質的な存続が人間に依存しなくなってしまっている複製においては、こ
の事物の歴史的証言力もまた揺らぎ出す。(中略)そのようにして揺らぎ出すもの、それは
事物の権威、その伝統的な重みである。
(ヴォルター・ベンヤミン、浅井健二郎編訳、久保哲司訳、「複製技術時代の芸術作品」)

ベンヤミンは、芸術作品を取り上げて「複製」がいかに「本物が本物であること」の価値を無意味にする
かを論じている。けれども、芸術作品の場合は「本物」が存続し、そのことによって「複製」と「本物」
のどちらが「歴史的証言力」をもっているかという問題が生じるが、ある時間のある場所の「複製」であ
る写真にとっては、そもそも「本物」は存続することはありえないのである。ここにいう「本物」とは「
ある時間のある場所」それ自体のことであるが、「時間の流れ」の存在する以上、そうした「本物」は次
々に消え去ってゆく。

しかしだからこそ、「ある時間のある場所」の「複製」である写真は何らかの「歴史的証言力」をもつの
ではないか。50年前の1枚の写真が、何らかの「歴史的証言力」をもつとしたら、それは「50年前の
この場所」という「本物」が現実には残っておらず、ただその写真だけが「本物」への接近を許す、ある
いは少なくとも、そうした「50年前のこの場所」という「本物」が確かに存在した、ということを伝え
てくれるからであろう。

こういってよければ、過去の遺物それ自体がもつ直接的な「歴史的証言力」とは異なり、写真における「
歴史的証言力」は間接的なものである。つまり、その「歴史的証言力」、あるいはそれが喚起する「リア
ルな感じ」は、現実世界における「本物」の消滅と、その写真が伝えるもの、すなわち確かに「本物」が
以前には存在していた、ということとの「ズレ」にあり、この「ズレ」こそが、それが撮られたときから
現在までに流れた「時間」を想起させるのだ。そしてこのような「時間」を感じることはまさしく「アウ
ラ」を感じることではないのか。

「アウラの模像はありえない」とベンヤミンは言った。しかし昔に撮られた写真の喚起する「アウラ」が
、ただ「物質」としての「写真」だけに密着するものではなく、むしろ「写真」と「現在の現実」と、そ
の両者の「ズレ」を感じる、あるいは想起する「鑑賞者」との「あいだ」にあるならば、その写真の「ア
ウラ」や「歴史的証言力」は、それがいくら複製されネット上に載せられようが、消滅することはないだ
ろう。それぞれの生きてきた「歴史」や「時間」を背負いつつ、その写真を眺める「人」さえいるならば

自己紹介
氏名 西 泰志(にしたいし)
所属 慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科 修士課程1年
所属プロジェクト 「近代日本とアジア・北太平洋 JANP」プロジェクト に所属
生年月日 1974年(昭和49年)5月16日生まれ 23歳
住所 神奈川県横浜市港北区篠原町
趣味 読書、音楽鑑賞、映画鑑賞、ビリヤード、写真
経歴
1974年(昭和49年)5月16日 大阪府守口市に生まれる。生後3カ月で横浜市に転居。
1979年(昭和54年) しのはら幼稚園に入園
1981年(昭和56年) 横浜市立篠原西小学校に入学
1987年(昭和62年) 横浜市立篠原中学校入学
1990年(平成2年)  神奈川県立横浜翠嵐高等学校入学  
1993年(平成5年)  慶応義塾大学総合政策学部入学
1997年(平成9年) 慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科入学

アーティフィシャル・アフォーダンス論

http://www.mma.mag.keio.ac.jp/kame/Doctor/minor.html


Spring 1997
Concept
本講義では、絵画に始まり、写真や映画、さらにコンピュータ・グラフィックスやヴァーチャル・リアリ
ティ(VR)にまで至る「視覚芸術」の歴史を展望し、アフォーダンス論の視点を中心にして、「メディ
アと表現」という問題を考える。
ジェームス・ギブソンは、生態光学と呼ばれる独自の認知科学的手法を用いて、「情報は環境の中にある
」ということを示した。アフォーダンス理論として知られるこの理論は、従来型の認知の概念をくつがえ
すものとして近年、多くの分野で注目されている。
アフォーダンス理論においては、人工的に作られた芸術作品、たとえば絵画は「画家が環境中に探求した
アフォーダンスの表現」として捉えられる。よって絵画の鑑賞者が見るのは、「画家によって探求された
アフォーダンス」だということになる。
しかし、近年登場しつつあるインタラクティブなメディアにおいては、鑑賞者自身が能動的に作品の中に
意味を探るということから、それ自体アフォーダンスを持つ、と考えることもできる。この「人工物であ
りながら、アフォーダンスを持つ」という、インタラクティブなメディアに見られる性質を「アーティフ
ィシャル・アフォーダンス」と呼ぶことにしたい。本講義では、この「アーティフィシャル・アフォーダ
ンス」をひとつのキー概念としてとらえていく。
Contents
本講義ではまず、アフォーダンス理論の中の「表現」に対する考え方について学び、その視点をもとに、
絵画や写真、映画といった「視覚芸術」の歴史を考察する。さらにヴァーチャル・リアリティ(VR)な
どの新しいメディアを使った表現についても視野を広げ、「メディアと表現」の問題をアフォーダンスの
視点から新たにとらえなおす。
Schedule
第1回 オリエンテーション  講義概要説明
第2回  アフォーダンス理論
          アフォーダンスとは
ギブソンの絵画論
第3回 遠近法の誕生 中世の知覚世界
聴覚から視覚へ
遠近法の世界観
第4回 ゴンブリッチの絵画論 図式と修正
    再現から表現へ
第5回 マニエリズム/バロック ルネッサンス的空間の崩壊
バロックの視線
第6回 キュビズムと未来派 絵画における時間の表現
  物語的時間の否定
 ベルクソンのイマージュ
*中間レポート提出
第7回 視覚メディアとしての都市  都市における感覚の表現
場所のアフォーダンス
ベンヤミンの都市
第8回 パノラマ/ジオラマ 大衆の登場による新しい視線
 FOV
第9回   写真の発明 写真のあらわすもの
ベンヤミンの芸術論
アウラの喪失
第10回 映画の表現技法   ムービング・イメージ
  パーソナル・ビデオ
第11回 TVというメディア  文字、イメージ、音の重なり合い
 チャンネルの切り替え
  MTV
第12回 デジタルイメージ論 CGの世界
  リアリティの追求
第13回 VRの美学   VRの歴史
  イリュージョンを産み出す技術
音のアフォーダンス
総合芸術としてのVR
第14回 表現とメディア アーティフィシャルなアフォーダンスとは
*最終課題提出
Report
課題については授業の中でそのつど提示する。最終的なレポートでは、「メディアと表現」について、授
業を通じてで考えたことを自由に述べる。
Reference
「生態学的視覚論」J.J.Gibson(サイエンス社)
「アフォーダンス -新しい知覚の理論 -」佐々木正人(岩波書店)
「アフォーダンス」現代思想1994年11月号(青土社)
「芸術と幻影」E.H.ゴンブリッチ(岩崎美術社)
「イメージと目」E.H.ゴンブリッチ(玉川大学出版部)
「<象徴形式>としての遠近法」E・パノフスキー(哲学書房)
「パッサージュ論」W.ベンヤミン(岩波書店)
「複製技術時代の芸術」W.ベンヤミン(晶文社)
「グーテンベルクの銀河系」M・マクルーハン
「眼の中の劇場」高山宏(目の中の劇場)
「見ることの逸楽」谷川あつし(白水社)


ベンヤミンとトロツキー—文化批評と実践から

http://www.jah.or.jp/‾kt-sonoe/TORTSKY2.html
園江 光太郎(「トロツキー研究」第24号掲載)

はじめに
 今日、左派的な文化批評家はおろか、美学芸術学科の教科書的存在にすらなっているマルクス主義文化
批評家が、ヴァルター・ベンヤミンである。彼の最も代表的な著書「複製技術時代の芸術」は、下部構造
の急激な変革に対し、上部構造の変革ははるか緩慢にやってくる、という始まりから、複製技術による芸
術の「アウラ(唯一性)」の消滅、ファシズムの「技術の蜂起」と政治の耽美化の結びまで、すべてが一
九三〇年代の情勢の中で、痛切に辛味を帯びた訴えとなっている。
 たしかにベンヤミンのように深く詳細に文化芸術批評を行ったマルクス主義的な批評家は他にいなかっ
たろう。いまでもカルチュラル・スタディーズをはじめ、少しでも左派的な考えを持つ文化芸術批評家な
ら、一度は読んだことがあるといってもいい。だがしかし、芸術批評に特化して読むのならともかく、政
治的社会的運動と芸術運動との連接を、ラディカルな反資本主義的な言説をもって構築しようとするなら
、ベンヤミンの「教典」はどれほど有効性を持ちうるのだろうか。
 むろん、ベンヤミンだけ読んでかれの言葉を実践しようとするほど脳天気な人はおそらくいないだろう
。だが、あれほどベンヤミンを持ち上げながら、ほぼ同等いやそれ以上にすぐれた芸術文化論を—政治的
社会的な連接を実践的にも理論的にも—残したトロツキーが、ほぼ黙殺というべきほどに光が当たること
もないのは、あまりに絶望的でしかない。
 トロツキーとアヴァンギャルドに関する研究は、私が以前書いた論考「トロツキーとアヴァンギャルド
」★(1)の中で詳細に書いたので参照していただきたい。アヴァンギャルド運動で主張された、生活文化へ
の解消による芸術の解体=社会化という展望は、トロツキーやベンヤミンだけでなく、マルクスの中にす
らある。マルクスとアヴァンギャルドの接合を図った名著として、マーガレット・A・ローズは「失われ
た美学」★(2)の中で、「経済学・哲学草稿」から「資本論」にいたるマルクスの著作そのもののうちに芸
術論を、いや芸術革命論を読み込もうとする。そこでは、マルクスの芸術観をサン=シモン派の後継の位
置に置き、マルクスの資本主義批判の言説に読み込んだ芸術革命論を、テクノロジーや産業の発展による
「生産主義」的な方向で芸術を統合しようとするアヴァンギャルディストとして置き直す。こうした考え
はルナチャルスキー、マヤコフスキー、トロツキー、ベンヤミン、ブレヒトなどの論述の中に見られるし
、サン=シモン、プルードン、ソレルなど、十九世紀以来の多くの社会主義者、アナーキスト、マルクス
主義者の著作の中に見いだせることである★(3)。
だがローズの仕事が重要なのは、芸術の解体をマルクスのテクストのうちに読み込んだことにある。マル
クスの著書の、エクリチュールとエクリチュールの間の行間に、まだ書かれていない芸術論を読み込もう
とする試みは、「資本論」にマルクス哲学を読み込んだアルチュセールのようでもある。そしてそれは、
今日最も革命的であることは言うまでもない。

マルクス主義芸術論か、文化ペシミズムか
 英国のマルクス主義文芸批評家テリー・イーグルトンは、初期の著作「文芸批評とイデオロギー」の中
で、トロツキーの「芸術の自律性」がトータルな理論になっていないし、マルクス主義的な理論へと高め
られていない。だが個々の作家批評ではすぐれた分析を残している述べていた★(4)。すなわち、トロツキ
ー芸術論はマルクス主義芸術論としては中途半端なものであり、断片的な記述の集成にほかならないので
ある。むろん、だからといってトロツキー芸術論に見るべきものがない、というわけではない。イーグル
トンはのちに「ワルター・ベンヤミン:革命的批評」の中の「歴史の天使」において、ベンヤミンがイメ
ージにのみとどまっていた社会的実践との結合をトロツキーは政治戦略にまで導いたと述べている★(5)。
ここで、イーグルトンはベンヤミンの「イメージ」を、トロツキーの永続革命論に置き換えて蘇えらせよ
うとする。ベンヤミンと同時にトロツキーにも新たな光を当てるのである。ベンヤミン解釈としては、こ
のイーグルトンの論述が最も優れていると思う。だが、トロツキズム運動が青年大衆の間で展望を持って
語られた七十年代の論述のせいか、なんとも詩的オプティミズムとでもいうべき甘さを持っているように
思えてならない。ベンヤミン再評価がとっくに終わり、日常的にメディアの中を飛び交う今となっては、
こんな楽観的なことは言ってられないというのが私の率直な感想である。
 それはともかく、ベンヤミンとトロツキーについて、少し具体的に述べてみたい。ベンヤミンは「複製
技術時代の芸術」において、芸術と政治運動の連接について、以下のように述べている。
「『芸術に栄えあれ、よし世界のほろぶとも』とファシズムはいう。ファシズムは、マリネッティが告白
しているように、技術によって変化した人間の知覚を芸術的に満足させるために、戦争に期待をかけてい
るのだ。これは、あきらかに『芸術のための芸術の完成』である。かつてホメロスにおいてオリンポスの
神々のみせものであった人間は、いま人間自身のみせものとなった。人間の自己疎外はその極点に達し、
人間自身の破滅を最高級の美的享楽として味わうまでになったのである。これが、ファシズムのひろめる
政治の耽美主義である。これに共産主義は、これにたいして、芸術の政治主義をもってこたえるだろう」
★(6)
 これは、ヴィルヘルム・ライヒのドイツ共産党改革案やグラムシのヘゲモニー論のような日常的な場の
政治的組織化を意味するのか、あるいは芸術の政治主義的動員なのか、政治的な形での芸術運動によって
ファシズム美学を粉砕するということなのか、どうにでも解釈できる美学的な暗示にほかならない。
あるいは、「暴力批判論」では、ソレルの暴力論を引用しながら政治的ゼネストとプロレタリア・ゼネス
トを区別し、後者を革命的行動として演繹する。
「…(政治ストに対してプロレタリア・ゼネストは)外面的な譲歩や労働条件のなんらかの修正があれば
労働を再開する、という態勢をもって行われるのではなく、労働が完全に変革されなければ、いいかえれ
ば国家による強制がなくならなければ労働を再開しない、という決意をもって行われるのだから。この種
のゼネストは、革命の誘因となるよりも、むしろ革命を貫徹する」★(7)
 その上で私の考えを述べるなら、なぜベンヤミンやフランクフルト学派が、その高度に洗練された文化
批評に対し、政治的社会的分野においてペシミスティックなのかがわかるだろう。彼らにとって革命的運
動は、まさに一九一八年のロシア革命とドイツのスパルタクス・ブントの蜂起であった。そのうち前者が
スターリニズムへと歪みはじめ、後者が社会民主党最右派の軍隊によって無惨にせん滅され、一時的安定
ののちナチズムへと至るのだから、絶望しかないわけである。そして、このように言説の中で昇華された
ような記述にしか、政治的社会的回路が見いだせなくなるのである。

一九三〇年代という厳寒期
 そうしたファシズムとスターリニズムが世界を席巻した一九三〇年代という厳寒期にあってもなお、先
鋭的な政治的社会的理論と洗練された芸術文化理論を合わせ持ち、持ち続けたほとんど唯一といえる人物
こそ、ほかならぬトロツキーであった。
 トロツキーの代表的芸術論著「文学と革命」が、初期の過激さを失ったとはいえ、なお芸術運動と実験
が盛んに行われ、ヨーロッパ先進国革命の可能性が遠のいたとはいえ、なお世界的な反帝国主義闘争が活
発であった一九二三年に執筆された著書であること。他方のベンヤミンの主著「複製技術の時代における
芸術作品」が、ナチス政権下で亡命生活を送り、ファシズムとスターリニズムによって国際労働者階級が
「暗黒時代」に突入した一九三六年に書かれた著作だから、安易に比較すべきでない、という人もいるか
もしれない。だが、トロツキーはソ連を追われた一九二七年以降も、連日のような政治論評の執筆の傍ら
、セリーヌやマルローなどフランスの文学作家の批評を書き、一九三八年以降のメキシコ亡命時代にも、
スターリニストの襲撃と第四インターナショナル結成のさなかで、非西欧圏におけるモダニズム芸術の実
験であるメキシコ壁画運動にシンパシーを寄せ、ブルトンやリベラとともに「自由な革命的芸術に向けて
」を発表していることを考えると、単に国際情勢の問題だけに帰結させることはできない。
 一九二〇年代、ルナチャルスキーのようなロシア・マルクス主義者はおろかアントニオ・グラムシまで
が「プロレタリア芸術」★(8)を提唱し、アヴァンギャルド芸術の技術的方法論を政治的プロパガンダの手
段とした時、それに最も抵抗したのがトロツキーであり、ドイツのフランクフルト学派の知識人たちであ
った。トロツキーがプロレタリア芸術を否定したのは、単にそれが政治への従属だからとか、「ブルジョ
ア芸術でいい」というだけではない。プロレタリアートは階級を廃絶し、社会主義的文化へ飛躍するとい
う弁証法的トリアーデを対置しているからなのである。これは世界革命=社会主義革命へのプロセスを念
頭に置いてのことであるが、ヘーゲル主義的転倒があることは否めない(実際、トロツキーの哲学観はま
ったくのヘーゲル主義なのだが)。それでもプロレタリアートの階級的芸術という単純化された図式を否
定し、プロレタリア芸術よりも傍観者的知識人たる「同伴者作家」を高く評価し、芸術の自律性と社会・
文化革命の重層的な関係を見据えながら、〈芸術〉の解体=実現というプロセスを重視したことは、当時
のマルクス主義者の間において卓見すべきだろう。
 そして、それをなしうる政治戦略こそ、永続革命であった。この意味で、トロツキーはアヴァンギャル
ディスト(しかも知的でバランス感覚のある)であったのである。
 トロツキズムの運動は、かれの死後三〇年以上も経た一九六〇年代末の青年大衆の爆発的高揚と、かれ
らのトロツキスト青年運動への合流として一時的に可能となりつつあった。この高揚は一九八〇年代まで
に消散していくが、そこから新たな運動が生成してきた。そして、ベンヤミンもかれの死後三〇年近く経
た一九七〇年代以降に読まれるようになった。このように考えた場合、ベンヤミンとトロツキーは等価に
読むべきだだし、同列に置いてこそ初めて意味を持つと考えていいだろう。そして、政治と芸術を等価な
関係に置いて横断しうるマルクス主義芸術論のパラダイムを呈示しえた人物こそ、このふたりだけだった
のではないだろうか?

文化批評の混乱とアクティヴィスト
 近年、グラムシやベンヤミンらに依拠した「カルチュラル・スタディーズ」という批評が知識人の間で
人気となっている。欧米では、一九八〇年代のサブカル批評がもっぱら左派知識人の側からなされ、サブ
・カルチャー的なムーヴメントを左派的に読むというものなのだが、日本ではここ一〜二年前からの流行
となっている。だが、その実態たるや、文化資本の問題は一言も言及されないし、多くは後期資本主義を
肯定した上で、「反体制」的な「ゲーム」として持ち上げるやり方である。はっきりいって、ポストモダ
ンの「シニフィエの戯れ」とどこが違うのか?
そうした意味で、カルチュラル・スタディーズは文化的左派の中の、ソフィスティケートされた改良主義
にすぎないのである。
日本では右派知識人の通俗主義的なサブカル批評が支配的な中で、それに対抗しようという意図は認める
。だが、その有効性には疑念を生じざるを得ない。ドゥボールについても、シチュアシオニスト評価や検
証抜きに「スペクタクル」という言葉だけが批評家や美術界の中のキーワードのごとく消費され、ほとん
どお粗末きわまりないとしかいいようがない。また、文化批評の分野では混迷をきわめる言説が氾濫し、
左寄りの人たちは知識人やメディアにいっそう傾倒して、そこから「運動的ふるまい」をする嫌いがある

 かつて西島栄は、一連の「政治改革」に対してマスメディアの果たした「受動的改革」と「大衆運動の
代行」について、こう評していた。
「ヨーロッパでは、多数の青年を巻き込んだ民族主義政党、ファシスト政党、右派政党が存在する。彼ら
はかなり本格的な大衆運動を組織し、左翼系の組織された大衆運動と対峙している。だが、日本では、政
治家やマスコミ、知識人たちは、鋭く自国の帝国主義的利害と使命を自覚しているにかかわらず、国民の
圧倒的多数はまだそのような段階にいたっていない。彼らは、マスコミが煽り立てる種々の帝国主義的改
革を、ある程度受容する用意はあっても、それを自らの手で実現しようとはまったく考えていない」★(9)

 このことは、左派の文化運動についてもそのままあてはまる。多くの文化系青年たちは、それらのメデ
ィアを受動的に消費するか、彼らと同じようにメディアの中で活動するか、のいずれかである。けっして
自らの手で、自立した文化的行動をしようとはしないのである。しかも、「大衆運動の代行」と呼ぶにも
あまりにお粗末な水準である。「作家を生産装置への供給者から、プロレタリア革命の目的にそってこの
装置に役だてることを、自己の課題とみなす技術者にかえる行為」というベンヤミンの問いは、どこへ行
ったのだろうか?★(10)
 だがそうはいっても、左派でない多くの青年たちは、こうした人々の執筆するメディアを読むし、触れ
る機会の方が圧倒的に多い。そしてなによりも、文化戦線の混乱は大衆運動と、新たな批評や理論系のパ
ラダイムの不在こそが要因である以上、左派の再構築こそが急がれるのではないだろうか。

      *      *       *
 なぜ私がこのようなエッセイとも論考ともつかない論評を書いたのか。ここで私が言いたかったことは
、ベンヤミンを過小評価することではないし、トロツキーの優位性を説くわけでもない。社会芸術論とい
う立場から考えると、ベンヤミンの「文化ペシミズム」的な態度は、文化産業のテクストに容易に転化さ
れやすいというもろさをはらんでいたことは、どうしても否めないのである。
 いったんは歴史の中に埋もれつつあった知識人ベンヤミンは、一九七〇年代に再評価されたが、こんど
はポストモダニズムに傾倒する知識人の手にかかって文化資本のテクストとして無惨にも「盗用」される
事態になった。それに対し、左派があまりに鈍感なことに、私は日本左翼の甘さを指摘せざるを得ない。
そして、ベンヤミンに影響を与えたブレヒトとトロツキーは、完全に黙殺されるに至った。スターリニズ
ムの犠牲者は、資本主義によって再び殺された!
 ベンヤミンのテクストはマルクス主義とトロツキーの文脈に置き直してこそ、社会主義文化の生きた指
針となるだろう。そうした意味からも、トロツキーもまた一時期の書物でなく、マルクス主義の、革命運
動の指針として広く再読される必要があるといえるだろう。



(1)拙著「トロツキー芸術論ノート—トロツキーとアヴァンギャルド—」
(トロツキー研究所「ニューズレター」第七号)トロツキー研究所、参照。
※筆名=瑞樹純で発表。
(2)マーガレット・A・ローズ「失われた美学—マルクスとアヴァンギャ
ルド—」法政大学出版局。
(3)アンドレ・レスレール「アナキズムの美学」現代企画室。
(4)テリー・イーグルトン「マルクス主義と文芸批評」国書刊行会、参照。
(5)同上「ワルター・ベンヤミン:革命的批評に向けて」勁草書房、二七
八ページ。
(6)ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」晶文社、四十六〜四十七ページ。
(7)同上「暴力批判論」晶文社、二十六ページ。
(8)ここでいうアヴァンギャルドとは美術家・デザイナーのアレクサンドル・ロトチェンコ、映画監督
のエイゼンシュテインなど構成主義者のことである。西欧や日本でも構成主義的な技術によるプロパガン
ダ芸術が活発になり、ドイツの演出家ピスカートル、日本では美術家でマヴォの創設者・村山知義のグラ
フィックデザイン、文学作家では小林多喜二の「蟹工船」なども構成主義的手法を多用している。プロレ
タリア芸術運動が、芸術家の労働者運動への参加をうながしたことは事実だが、この「実験」はのちに、
ファシズムのプロパガンダ戦略となり、六〇年代以降の大衆消費社会の中で「実現」を見ることとなった

(9)西島栄「『政治改革』と帝国主義的民主主義の政治学」(季刊「場/トポス」こうち書房、収録)
二四ページ。
(10)ベンヤミン「生産者としての作家」晶文社、一八八ページ。

非都市の存在論5   逆説都市

http://ziggy.c.u-tokyo.ac.jp/files/noncity5.html
─室内の幻像からノワールの宇宙へ─

1. 密室パラドクスと推理小説のエコノミー
 フレドリック・ジェイムソンは市民社会におけるブルジョアのプライバシーがもつ逆説的性格につい
て次のように述べている。「市民社会とは、社会によって生み出され、まさにその社会構成体が機能し
ていくうえでの重要な一部分をなす、根本的に非公開・非社会的な空間という経験と概念の哲学的パラ
ドクス(人間社会の歴史上、実質的にはじめて提示されたパラドクスといえるかもしれない)に伴われ
ていた。・・・従って、プライバシーはあらゆる種類の二律背反的対立─主に私的なもの、非社会的な
ものそれ自体の定義と防衛にかかわるものであり、同時に、ハンナ・アレントが述べたとおり、この歴
史的二元性がもたらした公的空間や公的生活の汚染に目を向けようとするものであった─を生み起こす
傾向があった。」1)
 19世紀に推理小説の誕生をうながしたものは、ジェイムソンがここで指摘しているような、大都市に
おけるブルジョア市民の私的生活空間と公共空間との分割であった。労働の場である事務所から、ある
いは集団の欲望が渦巻き、情報が行き交う空間である街路やパサージュから切り離され、ブルジョアの
室内は私的空間として孤立する。この小宇宙に私人は異郷や過去の文物を蒐集し、室内は労働を終えた
私人に安らぎを与える幻想で満たされる。ヴァルター・ベンヤミンは19世紀を〈住むことに病的にこだ
わった世紀〉2)と呼んだが、〈住むこと〉とはこんな室内に身を潜めることを意味した。〈居心地のよ
さ(Gemuetlichkeit)〉がこの空間の特徴をなす雰囲気であり、そこでは居住者の痕跡が室内のあらゆる
ところに刻み込まれた。〈住むこと〉とはこうしてまさに〈痕跡をとどめること〉にほかならなかった
。19世紀の〈室内というファンタスマゴリーの世界〉をめぐってベンヤミンは、そこに蒐集された事物
がことごとくカバーやケースに覆われていたことに注目している。そこではあらゆる接触の痕跡を残す
ビロードやフラシ天の布が好まれたという。個室へとブルジョアは自らを閉じ込め、さらにそこでは事
物がそれぞれの〈室内〉をえて、そのなかに収納される。大都市における私的な生活の形跡の不在を取
り戻そうとする欲求に応じて、室内はこうした痕跡を過剰に蓄積させていく。そして、その痕跡を追跡
する物語として、〈室内の最初の観想家〉エドガー・アラン・ポーにより、私的/公的空間の二律背反
あるいは逆説そのものを主題とした推理小説というジャンルが生まれる。『モルグ街の殺人』が発表さ
れたのは1841年のことであった。
 ベンヤミンは、フランスにおいて新しい選挙法により民主的仕組みが拡大されるとともに、私人が歴
史の舞台に登場した時代はルイ=フィリップの治世であったと述べている。3)イアン・ハッキングによ
れば、ルイ=フィリップを王座に押し上げた7月革命が勃発した1830年から2月革命による退位の年で
ある1848年の間に西欧の国々では、印刷された数字が突然急激に増大しているという。4) 物や人を数
えることへの関心がこの時期に急速に高まっていた。数は事物や個人の質に敵対し、そのアイデンティ
ティを破壊する。いわばそこでは質的な世界が崩壊し、近代的権力が依拠する量的な世界が現れてきて
いたのである。例えば普通選挙権の導入は、所属階級や収入といったあれこれの属性によってではなく
、そのような経験的性質を捨象した〈数〉としてのみ選挙の主体を規定する。このような数への還元は
、一面からすれば、社会の解体そのものであり、民主主義とは、王の身体が表象していたような政治体
(政治の身体)の統一性が消滅すること、政治体の全体性を決定することはもはや不可能であるという
事実に基づいている。民主主義の経験とはこの決定不能性の経験であり、クロード・ルフォールに従え
ば、精神分析もまたこの経験の産物にほかならない。
    
                  田中 純(たなか じゅん)
1960年2月27日、宮城県仙台市生まれ
東京大学大学院・助教授
専攻:表象文化論(建築・美術におけるモダニズム)、
ドイツ研究(現代ドイツの文化・芸術)
◆◆◆
1985年、東京大学教養学部教養学科ドイツ科卒業
1985〜87年、国際交流基金勤務
1991年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程修了
1992〜93年、ドイツ学術交流会奨学生としてドイツ連邦共和国ケルン大学に留学
1993年、東京大学教養学部助手
1994年、東京大学教養学部専任講師
1995年、東京大学教養学部助教授、現在に至る
◆◆◆
[主な著書]
「残像のなかの建築─モダニズムの〈終わり〉に」(未來社)
磯崎新監修・田中純編『磯崎新の革命遊戯』(TOTO出版)
「モダニズム研究」(思潮社、共著)
[最近の論文]
「近代というナルシス─ル・コルビュジエの遡行的問い」
(『建築文化』第600号、彰国社、1996年10月)
「〈?−建築〉になること─建築の消尽」
(『建築文化』第602号、彰国社、1996年12月)
「未来の化石─ J・G・バラードと都市のアクシデント(非都市の存在論1)」
(『10+1』第4号、INAX出版、1996年4月)
「〈光の皮膚〉の肌理─都市写真という寓意(非都市の存在論2)」
(『10+1』第5号、INAX出版、1996年7月)
「〈路上〉の系譜─バラックあるいは都市の〈忘我状態〉(非都市の存在論3)」
(『10+1』第7号、INAX出版、1996年10月)
「〈無人〉の風景─建築が見る〈不眠の夢〉」
(『10+1』第7号、INAX出版、1996年10月)
「コンピュータの屍肉─サイバースペースの生ける死者たち」
(『10+1』第8号、INAX出版、1997年1月)
「夢のトポロジー─パサージュの襞」
(『建築文化』1996年5月号、彰国社)
「性差の建築─ダンディ、モード、モダン」
(『imago』1996年5月号、青土社)
「自殺するロックンロール─デヴィッド・ボウイ試論」
『超域文化科学紀要』創刊号、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻、1996年6月)
「迷宮のコレオグラファー─ニーチェの建築」
(『建築文化』1995年6月号、彰国社)
「利休の〈暗い部屋〉─草庵茶室の空間」
(『未來』1995年9月号、未來社)

「忘却」と「跳躍」:新しい経験主義のための条件
Here comes the S+V'97   http://www.mag.keio.ac.jp/‾ikn/riron.html


その後期の主著である「ヨーロッパの学問の危機と先験的現象学」においてフッサールが学問の「危機」
と認識したのは、一方ではまさに華々しく進歩を遂げ、数々の成功を収めつつある科学の理論的及び実践
的な活動と、他方では生活にとってその意味並びにそれが我々の世界(=「生活世界」)全体に関わらせ
られる可能性との間の、離反であった。
フッサールはそのような「危機」意識に対して哲学者としての責任を問うのであるが、その責任は、例え
ば幾何学の理念的対象性を産出し伝承するような「可能性」に負っている。この可能性は一方では、時を
隔てた理念的同一性の反復と保持、すなわち「再活性化」の条件であるとともに、諸起源の「忘却」と技
術化の条件もなす。つまり、責任と無責任の両方の条件を構成するのである。そして、その可能性とは、
第一に我々の言語である。
このような言葉の二重性------ここにアドルノ、ホルクハイマーによる後期批判理論のプログラムが行き詰
まったアポリアの根源がある。ホルクハイマー自身が語ったように、批判理論と後期フッサールとの間に
はその危機意識などの類似を見ることができるが、そのような「危機」意識を前に二人が構想した道具的
理性批判は、理性の中に「反省」への契機を組み込むことが原理上出来なかった。その意味でハーバマス
の二人への指摘は正しかったのであり、「反省」への契機はミメーシス(模倣)の「衝動」や、救済への
「予感」としてしかとらえられることはなく、「そのような模倣的衝撃を洞察へと変容させ」て理論的に
跡づけることなく、その理想を引き出すのは、確かに「芸術作品のミメーシス活動からであって、決して
近代科学の論証からでは」なかったのである。

フッサール自身は、その問題を知覚という「確信の内部性」を主題化することによってそれを克服しよう
とした。

しかし他人と共に生きる場合においては、誰でも他人の生にあずかることが出来る。こうし
て一般に世界は、個別化された人間にとってのみ存在するのではなく、人間共同体にとって
存在するのであり、しかも端的に知覚的なものを共同化することによって存在するのである
。 この共同化においては、絶えず相互の訂正による妥当変移ということが起こる。相互理
解という形で、その経験と経験による所得とが他人のそれらと結び合わせられるが、それは
私の、従って又それぞれ自分の経験的生の内部での結合と似たようなものなのである。さら
に又次のようになっている。即ち、全体として大きくみれば、個々の点に関して妥当の相互
主観的調和が通例のこととして成立し、そのことによって、妥当とそこで妥当している事柄
の多様性との中に、相互主観的統一が成立する。さらに又、相互主観的な不調和が現れるこ
とも決して希ではないが、そのような場合にも、相互の談合と批判によって、一致が成立す
る。少なくともそれを目指すことが、全ての人によって可能であると、あらかじめ確信され
ている。そのことは暗黙の内に、又気付かれもせずになされていることもあろうし、又はっ
きり表明されることもあろう。このことは全て、次のようにして起こる。即ち、各人の意識
において、又結合によって成長する包括的な共同意識において、同じ一つの世界が、一部は
すでに経験された世界として、他の一部は全ての人の可能的経験の開けた地平として恒常的
に妥当するものとなり、連続的に残存していることになる。即ち、真に存在する事物の世界
、全ての人に共通で不変的な地平としての世界が成立する。
(「ヨーロッパの学問の危機と先験的現象学」第47節より。中央公論社版ではp.537か
らp.538)
少し長い引用となったが、ここでフッサールがその「危機」に対して提出する「生活世界」(の主題化)
が、「知覚」のアプリオリな共有に負っている事に注意したい。フッサールの上のような言説には様々な
疑問が投げ掛けられ得るだろう。例えば、「世界」は知覚可能なものの共同化によって成立するのか、そ
れ以上の意味、あるいは事実の連関によって成立するのではないか。あるいは、相互の談合と批判による
妥当の変移は、一人の人間の中での妥当の変移と同じものなのか、そこには共同体における(暗黙りの)
バイアス、規範が関わってくるのではないか。

ここでフッサールはポール=リクールの指摘通り、透明なコギト=自己にとって透明で自律的な主観性と
いう理想を前提としているのであり、そこでは「客観的」な諸構造が考慮に入れられてはいない。主観は
、絶えず自分自身が持っている意味とは別の意味によって阻害されるものであり、それは中心のずれたコ
ギト、裂けているコギト、過ち易いコギトであるといえるだろう。何故なら、このコギトは世界の中で、
つまりその意味の大部分がコギト自身の意志的な手動権よりも先立っているような世界の中で、自己を認
識するからである。

そのため我々が「反省」を行うためには、我々の意志に先立つ、社会、文化、心理学的要素といった「構
造」を何らかの形で考慮にいれなければならない。そして、それが(ルカーチの)物象化論の最初のモチ
ーフであったはずである。
しかし、後で詳しくみるようにそのような物象化論は、非常に簡単にいってしまえば構造の内と外を峻別
してしまう事によって、内(構造)と外(カオス)とのインターアクションによってしか、その構造の変
質・変動を説明することができなくしてしまう。また、そのような構造(主義)は歴史主義、相対主義に
陥る危険がある。ルカーチが労働者に「革命」の希望を託したのは、「疎外」された労働者が半ばその社
会の外部に存在していたからではなかったか。しかし、ルカーチの予測とは違い彼らはナチズムに傾斜し
ていくことになる。つまり、私達が「構造」を発見するのは、いつも「事実」の後でしかないのだ。そし
てそれは、常に次に起こる「事実」によって覆される可能性にさらされているといえる。また、「価値」
的に根拠を持たないまま、事実性が規範となってしまう可能性もある。

翻って考えてみれば、このことに先のフッサールは非常に意識的、であった。つまり「はじめてのものを
みることの特殊性」に対して、非常に慎重であった、といえる。
デリダの言葉を借りれば、フッサールは「論理主義的構造主義と心理学的発生論の二つの暗礁」の間を通
リ抜けなければならなかったのであり、彼は「哲学的関心の新しい方向を切り開かねば」ならなかったの
である。

現象学の最初の様相は、その型において又その取り扱う対象において、さらに構造主義的で
す。何故ならば現象学は、最初は特に心理学主義と歴史主義を警戒しようとするからです。
しかし除外されるのは、発生学的記述一般ではなく、因果主義と自然主義にその図式を借り
ているものや、『事実』の学に依存するもの、従って経験主義に依存するもの、それ自体の
真実性を保証することのできない相対主義、従ってフッサールが懐疑主義と結論するものに
依存しているもの、これらのみが除外されます。自分の存在を理解することのできない実証
主義を用いて発生論が『事実の学』の中に閉じ込もる事ができると信じるとき、発生論の哲
学的無能性脆弱性の故に、現象学的態度への移行が必要となります。
(ジャック=デリダ「エクリチュールと差異(上)」第五章「『発生と構造』と現象学」p.310
からp.311)
フッサールは何よりも経験主義、相対主義から陥るとされる懐疑主義を嫌った。そのために、彼は超越論
的還元という手続きをとるのである。その意味で、上のポール=リクールの批判は、単なる構造(主義)
への導入としてではなく還元の不可能性として読まれなければならないだろう。それゆえにリクールは反
省的意識の純粋な現象学から解釈学的現象学へと移行する必要性を指摘するのである(現象学の解釈学的
迂回)。

この論考において私は(それでも)ある経験論を取り上げるつもりである。それはドゥルーズが「差異と
反復」においていうような経験論である。

経験論の秘密は、以下のようにいえよう。経験論は、決して概念に対する反動ではないし、
単に体験へすがることでもない。それどころか、経験論とは、未見にして未聞の、このうえ
なく発狂した概念想像の企てである。経験論、それは、概念の神秘主義であり、概念の数理
主義である。しかし、経験論は、概念をまさに、ある出会いの対象として、「ここーいま」
として、あるいはむしろエレホンとして取り扱う。エレホンとは、そこから異様に配分され
た常にもろもろの「ここ」と「いま」が尽きることなく湧き出てくる国である。
(ジル=ドゥルーズ「差異と反復」p.15)

上の意味の経験論は、いきおい我々の注意を対象そのものへと、あるいは「差異」へと促す。つまり、「
ABC------」=Aとするような同一化思惟によって切り捨てられるBのようなものに視線が向けられる。
そして我々は、アドルノ、ホルクハイマーによる「啓蒙の弁証法」もそのような経験論(あるいはそれに
非常に近いもの)としてとらえられなければならないことに気付くのである。

目の前にあるものを、そのものとして概念的に把握すること、すなわち様々な所与について
、単に抽象的な時間空間的諸関係を見て取り、それに基づいて所与を把握するだけでなく、
むしろ逆にそれらの諸関係を表面的なものとして、つまり社会的、歴史的、人間的意味が展
開されてはじめて自己を充実する媒介された概念の諸契機として、考えること、------こうい
う認識の持つ全体的な要求は捨てられてしまう。この要求は、単なる知覚や分類の計算の内
にあるのではなく、まさしくその都度の直接的なものの「限定する否定」の内でこそ、充た
されるのである。
(アドルノ、ホルクハイマー「啓蒙の弁証法」p.34)


しかし、だからといって私はフッサールの企図を否定する訳ではない。むしろ、今までにここで私が挙げ
た幾つかの批判にも関わらず(そしてデリダによる決定的な批判にも関わらず)、私は相互主観的な妥当
変移による「生活世界」の統一というテーゼを信じる(その意味で、私は結論の先取りの誤謬を犯してい
るといえるのかも知れない)。ただし、そのためには幾つかの条件を挙げなければならない。

それは、まず上の意味での経験論を迂回しなければならないということ。アドルノ、ホルクハイマーがい
うような、目の前にあるものを「そのもの」としてとらえること。そのような経験論は、目の前にあるも
のを「特異的な」ものとしてとらえることを要請する。「特異的な」ものとは、一つの詩、いやそれ以上
に一つの物語に類似している。つまり、詩や物語は、一つの公式のように使われるのではなく、暗唱され
なければならないのである。
第2に、そのような特異的なものの相互影響の局面を顕在化させること。ハーバマスの分類でいうと「目
的行為」でもなく、「了解行為」でもない、もう一つの「行為」の局面を顕在化させること。
それは、自らの「経験」を分かち合うための行為である。またそれは、物語を語るような行為として理解
される。説得によって「了解」を志向するのではなく、自らの経験を語り合うこと。「了解」をある意味
で否定し、物語に対して、別の物語を返す(各自が自分の例をつくる)こと。一つの図式を具体性によっ
てシュミラークルにすること。そのような行為は、ヴァルター=ベンヤミンの指摘通り、出来事をそれを
語る者の生そのものの中に組み込む。

情報が旧来の関係にとってかわり、さらに情報自体が感覚に場所をゆずるとき、この二重の
過程は経験というものの漸進的な減退を反映しているのである。これらの形態は全て、おの
おののやり方で、最も古くからあるコミュニケーションの形態の一つである物語から離脱し
ていく。物語は情報とは異なり出来事の純然たる即自性を伝達しようとするのではなくて、
出来事をそれを語る者の生そのものの中にくみこみ、語る者が聞く者に対して自分自身の経
験として伝えようとするものである。かくして、あたかも陶工の手が陶器の上に残るように
、語り手はそこに自らの痕跡を残すことになるのである。
(ガタリ「三つのエコロジー」p.67におけるヴァルター=ベンヤミンの引用)
ここに、フッサールがあの「危機」意識に対して、見せた(生活世界の主題化という)構想の影を見るのは
正しい。
しかし、そこには「経験」論的な迂回が必要であることを忘れてはなるまい。つまり、彼がいうような相
互主観的な不調和が現れた際に行われるとされる「談合」や「批判」はそこでは間接的に行われるのであ
って、それは生来、非対象的・アンバランスなものなのである。その意味でそれはライプニッツのモナド
についての考察のアナロジーとしても理解され得る。すなわち、ライプニッツが考えるモナドとは部分が
ない単純実体であり、それと同じものが存在しない「一」ではあるが、その中に「多」を含んでいる------
潜在的には宇宙全てを含んでいる ------のであって、互いに同一の宇宙を表出しているものとして、相互
に対応し、間接的、観念的に作用しあうのである(互いに読まれたり、類似したテーマ/対象について書か
れることによる「練り上げ=エラボレーション」)。

第3に、その点を踏まえた上でそのような行為に自らが、意識的であること。つまり、自らの経験を「出
来る限り最も生き生きとした、はっきりと記憶に残る具体性」として、語ろう(語り直そう)とすること
。そこで駆使されるレトッリクは従来の意味でのレトリックとは異なる別の射程を持つ事になる。

「彼(アリストテレス)のレトリックの目的は、説得することであった。今日の我々のレト
リックの目的は説得することというよりは、精神的あるいは知覚的な資源を開拓すること、
そして経験をわかちあうことである。レトリックに当てはめれば、それはこういう意味であ
る。すなわち、我々の目標は説得することというよりは、あれこれ考えるというのはどの様
な感じなのか、また人があれこれ考えている時には何が怒っているのか、ということを示す
ものであり、それ故もっとも論理的に弁護可能なものというよりは、できる限り最もいきい
きとした、はっきりと記憶に残る具体性を思考に付与することである」
(ディック=ヒギンズ「インターメディアの詩学」p.60)
このようなレトリックは一体どの様なものとなるのか。ここではバフチンによる小説の理論が参考となる
はずである。彼は小説とは「ただ一つの言語の絶対性を拒否した」表現形式であるとし、小説には二重の
意味での志向(構造化への契機)が必要であるとする(「聞き手」に対する志向と「対象」についての志向)
------しかし生きた言葉の対象への対応の仕方は、どれも同じようなものであるとは限らない
。言葉と対象、言葉とそれを語る人格との間には、同一の対象、同一のテーマに関する異な
る他者の言葉の、弾力的で、しばしば見通すことの困難な媒体が秘かに介在しているのであ
る。そして言葉の文体論的な個性化と形式化が可能となるのは、まさにこの特殊な媒体との
生きた相互作用の過程においてなのである。というのもあらゆる具体的な言表は、それが向
けられている対象を、常に、あらかじめ条件づけられ、論難され、評価されたものとして、
又その対象を覆い隠すような霧に包まれた、あるいは逆に、それについて語られた他者の言
葉の光に照らされたものとして見出すからである。
(ミハイル=バフチン『小説の言葉』p.37)

聞き手への話者の志向は、聞き手の固有な視野、固有な世界への志向であり、その様な志向
は話者の言葉の中に全く新しい諸契機を持ち込む。というのも、このことによって異なるコ
ンテキスト、異なる視点、異なる視野、異なる表現的アクセントの体系、異なる社会的《言
語》の相互作用が生まれるからである。話者は自分の言葉を、それを規定している視野と共
に、理解者の異なる視野の中に定位しようと努め、この視野の中の諸要素と対話的関係に入
る。話者は異なる他者の視野の中に入り込み、自己の言表を他者の領域で、その聞き手の統
覚的な背景の上に構成するのである。(同p.47)
「聞き手」に対する志向は、その構造化の際にあらかじめ予測される聞き手の「応答」を念頭に置くこと
によって、わかりやすく伝えることを可能にする。また「対象」についての志向は、その対象の歴史性を
露にし、絶対的に見受けられる言説を脱中心化するものとして小説を構造化する。
「聞き手」と「対象」に対してこのような二重の志向が意識される時、その様な語り口こそが、ともすれ
ば「忘却」への契機ともなってしまう言葉が「反省」を行いうるきっかけとなる。そしてこれが(特に)
アドルノがその美的弁証法で構想したことであったはずである。

(構造の)「内」にいながらその正統性を問うこと。「忘却」への契機にもなる言語を用いて「反省」を
行うこと。それは一つの「跳躍」である。アドルノ、ホルクハイマーは(そして何よりもベンヤミンは)
その様な跳躍に非常に意識的であった。しかし、二人が『啓蒙の弁証法』において提出した「道具的理性
批判」はその呵責ない批判において合理と非合理を峻別したために、内部と外部のインターアクションの
経路すら理論化することを不可能にしてしまった。
しかし、私は二人がいう「非合理」とはその様な語でかたずけられない程豊ぎょうなものであると考える
。ベルクソンの枠組みを用いれば、二人がいう「非合理」とは実在化される「可能的」なものではなく、
現実化されるべき「潜在的」なものなのであって、「差異」と「創造」の源泉なのである。目の前に一つ
だけある「合理」に対してそれ以外全てのカオス=「非合理」を対置するのはベルクソンによれば「偽の
問題」なのであり、その「合理」に対置されるのは幾つかの(現実化されうる)潜在的な「合理」でなけ
ればならないのである。
そしてこのように社会を捉える時、それは「自己言及的システム」と非常に近いものとして理解されるの
である。

共同性のビョーキ、ベンヤミンの日常http://www.kt.rim.or.jp/‾tro/ldp/ldp973.htm
複雑系の可能性・・・“集合・共同性”の場合
生命の起源が遺伝子という情報と、その情報の環境に対する認識と、それに基いた自己組織化であること
は明らかだ。自己組織化は自己修正を含み、それは原理的に自己否定をも前提としているのも確かだろう

このように単体の生命は容易に把握し定義できるが、その“集合”における、集合そのものへの認識がど
ういったものであるかはナゾが多い。複雑系はそれに対する回答の可能性を用意するとともに、そのこと
そのものが複雑系という問いへの自己否定ともなっている。すべては自己言及するというのはここでも真
理であるようだ。

複雑系がシミュレーションによって発見した大きなポイントの一つに、集合とその“全体性”への認識が
ある。それは個体相互の認識によるそれぞれの自己制御が結果として構成する全体性が、個の集合である
ところの全体性の形成要因であるとするものだ。
ここに複雑系そのものを否定する大きな問題と、結局全体性そのものには全く言及していないという複雑
系の限界を示すダブルバインドがある。

個の相互関係が全体性の形成要因ならば、全体性そのものはあり得ないことになる。個の相互連関という
ネットワーク理論の範疇でケリがつくことになるからだ。
ゆえにネットワーク理論からの複雑系に対する批判が成立する。
また、複雑系が全体性そのものに言及できないとすれば、それは個別科学の一派に過ぎない並みの理論で
あるということになる。

共同性の問題・・・社会科学の可能性
個別な存在であるところの人間が何故に“類”なのか、という究極のテーマも含めて全体性とは、宗教か
ら芸術までが人類の歴史とともに挑んできた未決のテーマであり、人類そのもののことでもあるだろう。
ところで、この全体性は社会科学においては“共同性”である。

経済学では主に“市場”と定義され、社会学では“都市”でもあり、時系列的には“歴史”と呼ばれ、一
般的には“世界”とか“社会”などと誰もが口にするありふれた言葉で表現される当たり前のモノゴトの
ことだ。政治学的にはもちろん“国家”であり、聖書における怪物であるところのリバイアサンである。

これらの共同性に対するアプローチは資本主義の発展とともにある程度啓蒙としては行き渡ってきている
。それは書籍が商品として流通することをはじめとして、まさしく全てが商品化する資本主義のもと、あ
らゆる呪縛を解体する知的な道具と財産をあらゆる人に供給してくれるからだ。もちろん商品として、で
ある。共同性は共同性の成立要因でもある商品そのものによって解体する。そしてそれは次の共同性を準
備するものでもあり、この生成消滅の連続した変遷が歴史でもある。

認識力・思考能力の問題・・・社会科学の可能性

全体性、共同性への認識方法はいろいろあるが、それぞれ時代と文化のレベルに見合った理屈が流通して
いる。

日本でのその一つに、物理的には存在しない共同性=国家が“ある”と感じるのは幻想にすぎない、とす
る主張がある。これは原理的に正しいのだが。たとえば、その代表の一人である岸田は唯幻論でそう主張
する。そして、共同幻想というタームが使われる。

しかし、これは、このコトバの最初の使用者である吉本隆明の定義とは全く違う。

この違いを認識できるかどうか、言及できるかどうか、というところが認識力や思想の大きな分水嶺にな
っている。この分水嶺は鬼が世間を渡る程度のレベルや資質では超えられないものであることもわかる。
この分水嶺に気がつかないことそのものが、その認識力・思考能力のレベルを自己表明してしまう、そう
いった分水嶺だ。

分水嶺のアチラとコチラは、遠すぎるのであり、それを無理に飛翔しようとする者は、多くがどこかへダ
イブしてしまう。それは認識装置の崩壊であり、背伸びしたまま転倒して硬直した全身とアタマが砕ける
散る安手のサイバーなワンショットであり、カルトであり、洗脳願望であり、金属バットであり、ラリる
ことである。つまり、クズとなることだ。
クズをクズとして扱うことを倫理というが、これを生産諸関係を含む社会科学の視点から考えるものとし
てベンヤミンやフランクフルト学派などを考察することができるだろう。

アウラの問題・・・ベンヤミンらの可能性
たとえばベンヤミンは“アウラ”という共同性を容易く、素早く、喝破してしまう。まるでエンゲルスか
マルクスのように、である。

アウラが量産技術や複製技術といった近代資本主義の技術によって瞬く間に消失することをベンヤミンは
正統派マルキストのように呆気なく論じてしまう。そのアウラを都市における何らかの共同性、都市の共
同幻想として論じようとした時、ベンヤミンは都市へ限りなくシンクロする存在として“娼婦”を取り上
げる。両極を自在にしかも極性無しの弁証法的同一態として自在にアプローチする視点とその転移は、ベ
ンヤミンのパサージュ論のタームとしての、典型的な都市遊民のものでもある。

宮台が取り上げるコギャルや大塚が取り上げるM。そして何よりもそれらの取り上げ方そのもののなかに
可能性を見い出したいと考えるのは、未だ“国家”などの共同幻想にとらわれているダイブしそこねのガ
キORガイキチよりもいいだろう。ダイブしそこねた表面的なエリートが、すでに崩壊してしまった自分自
身にすら気づかずに全身全霊をかけて構築するものを制度といい、その担い手を官僚と呼ぶ。うんざりだ
ね、ということ以外に感想はないが。

東北大学情報科学研究科人間社会情報科学専攻修士論文(平成10年3月提出)

http://www.vacia.is.tohoku.ac.jp/‾dnetsu/thesis/transact.html

都市と記憶
-W・ベンヤミンの『パサージュ論』を手がかりにして-
City and Recollection
— Approaches to W.Benjamin's Passagen-Werk—

 

NETSU, Daisuke
テキスト情報解析論講座    根津大輔

指導教官関本英太郎教授
審査委員関本英太郎教授,生出恭治教授,平田満男教授,
ジェレミー・シモンズ助教授,窪俊一助教授


In Benjamin's way of thinking, the city is the media of the personal recollection. The repressed unconscious incollective dreams can be momentarily represented as dialectical images which are described as a kaleidoscopeconsisting of countless fragments from the past.
This thesis aims to consider these kaleidoscopic dialectical images as rhizome as developed by Deleuze and Guattari.
This involves interpretation through fraction and totality,interruption and continuity, unity and multiplicity. Theresult reveals history is not the description of a simple progression.With this interpretation we are able to recognizethe latent past within the revelately moment.
Key Words: fragment, kaleidoscope, dialectical image, rhizome, fraction and totality, interruption and continuity,unity and multiplicity

1.はじめに
論者が本稿を執筆する契機になったのは、ユタ・ヴィーグマン著の『精神分析的歴史理論』である
。そこにはヴァルター・ベンヤミンの後期歴史理論のアクチュアリティが、フロイトの夢理論との
比較のもとに書かれていた。しかし、この著作では、フロイトの夢理論とベンヤミンの後期歴史理
論との比較にとどまり、その後の精神分析学の成果について言及されていなかった。本稿はそれを
踏まえ、ラカン、ドゥルーズ=ガタリの精神分析の成果を使い,『パサージュ論』を手がかりにし
てベンヤミンの都市を解読する方法を捉えることを試みる。ベンヤミンは、都市を媒体にして個人
の記憶を取り出し、集団の夢の中に抑圧された無意識を「弁証法的形象」として捉え出そうとした
。その「弁証法的形象」が「リゾーム」として捉えることができ、それによって、歴史の「連続と
切断」、「今」における過去の潜在的な力を理解することができることを示すのが本稿の目的であ
る。
2.近代・都市・パリ
進歩史観で近代の歴史を捉えるのでなく、ベンヤミンは、直線的でない、連続的でない時間からな
る歴史意識を構想していた。その歴史の切断面は、ベンヤミンの言葉では「弁証法的形象」として
しか認識できない。その時、ベンヤミンの歴史意識の手がかりになったのは、19世紀の首都近代都
市パリ、そしてその「パサージュ」であった。ベンヤミンは、それを、夢(眠りと目覚め)によっ
て理解しようとする。

3.ベンヤミンにおける記憶の想起
(1)『パサージュ論』の試み

『パサージュ論』は、断片と引用の集積に終わった未完の著作である。その中には、次のような断
片がある。
上から光を受けるこの通路の両側にはきわめてエレガントな商店が立ち並んでいる。そのよ
うなパサージュは一つの都市であり、小宇宙である。(A1,1)

ここから「パサージュ」が近代都市パリ全体を解読するための縮図であることがわかる。部分であ
るパサージュと全体であるパリは、部分であると同時に全体である関係であり、「パサージュ」と
近代の関係もまた、「部分と全体」として捉え出すことができる。

「欲望のパサージュ」という名のパサージュがあった。(A6a,4)

ここには、部分である「パサージュ」が、資本主義の全体的な本質である商品への欲望が具体的に
顕わになる場として捉えられている。

(2)モンタージュの方法
「パサージュ (Passage)」はシニフィアンを「Pass-Age過ぎ去る時代」(論者の作成例)とすることができる。ベンヤミンは「時代(Zeitraum)」を「時代の夢(Zeit-traum)」と分割し新たな意味を見いだしていた。後期のベンヤミンは「モンタージュ」という用語を使って、「過去が現在に喰い込む」(N7a,3)イメージを出そうとする。それは、あることがらを元の文脈から切断し、現在と過去を衝 突させ、引用することで、一度死んでしまった記憶の夢の形象たちを目覚めさせる操作である。

(3)夢、そこからの「目覚め」の瞬間
「目覚め」の瞬間は、一方ではまだ「集団の夢」を見ていながら、他方ではすでに目覚めていると
いう特権的な「瞬間」であり、そこにベンヤミンは「弁証法的形象」を見る。精神分析家が個人の
夢を分析する時、まず夢の「顕在内容(manifester Inhalt)」を自由連想によって多元的に決定し、そ
こから「潜在内容(latenter Inhalt)」を分析しようとする。ベンヤミンは、言語化された無数の断片 の 引用を「集団の夢」の「顕在内容」とし、それを「寄せ集め」ることで、夢の「潜在内容」であ るベンヤミン独自の「弁証法的形象」を得ようとした。

(4)「鏡」ではなく「万華鏡」

「鏡像段階論(stade du miroir)」でラカンは、「エス(Es)」の純粋な欲動が、すでに言語によって「
無意識(das Unbewusste)」のうちに抑圧されていることを示した。ベンヤミン、ラカンの両者とも、
無意識と言語は関わりあっている。しかし、ラカンにおいて言語は無意識を抑圧し、ベンヤミンに
おいて言語は「場」として「形象」に出会うことを可能にするという差異がある。ベンヤミンは、
言語を媒介にして「弁証法的形象」を見ようと試みる。ベンヤミンの考える、夢を見ながらかつ目
覚めている状態である「目覚め」の瞬間では、言語は未だ無意識を抑圧しない。その無意識を「弁
証法的形象」とするために、ベンヤミンの方法は言語化された断片を無数に引用する。そうした「
モンタージュ」の手法で「過去が現在に喰い込む」(N7a,3)姿を見せるのが、ベンヤミンの方法なの
である。その方法は、ラカンの「鏡」という言葉に対して、ベンヤミンの言葉を使えば「万華鏡」
的であると言える。ラカンの用いる「鏡」は、言語が無意識を抑圧し、鏡に映った自己との同一性
を確認(あるいは誤認)するのに対して、ベンヤミンが用いた鏡である「万華鏡」は、その鏡像が
セルロイドのクズや糸切れ、金属片でできた「寄せ集め」で、万華鏡を回転する度に「新たな秩序
へと崩壊する」のだ。その時、言語の役割は、新たな像を次々に作るためのきっかけであり、「場
」なのである。

(5)「リゾーム」と「弁証法的形象」

ドゥルーズ=ガタリは、無意識の働きを「エスは作動している」(DG p.7邦訳 13頁)と書き、「欲望
する生産(production desirante)」と呼んだ。それを規定するための三つの概念は、流れと切断の連続である「生産の生産(la production de production)」、互換可能なる体系である「登録の生産(la production d'enregistrement)」、固定した自己同一性を持たない「消費の生産(la production de consommation)」である。それらは、「器官なき身体(lecorps sans organes)」と一体不可分である。「 器官なき身体」というのは、自他未分化である原初的な状態、部分であり全体、一であり多という 多様体である。ドゥルーズ=ガタリは後に、根茎を意味する「リゾーム(RHIZOME)」という概念を 提唱した。それは、「欲望する生産」と「器官なき身体」を敷衍したものである。

a)「生産の生産」の「連続と切断」、「モンタージュ」

「生産の生産」の例としてドゥルーズ=ガタリは、クロード・レヴィ=ストロースの「器用仕事(le
bricolage)」について次のように述べている。
「器用仕事」とは、断片的なガラクタを随時に新しい異なったパターンに配列し直す能力の
ことである。ここでは生産する働きと生産されるものとが、また用いられる道具の全体と仕
上げられる仕事の全体とが、全く区別されないことになる。(DG p.13邦訳 19頁)
こうした「器用仕事」のようなやり方は、ベンヤミンにおいては次のように表現されている。
この仕事の方法は文学的モンタージュである。(中略)ぼろ、くず、それらの目録を作るの
ではなく、ただ唯一可能なやり方でそれらに正当な位置を与えたいのだ。つまり、そのやり
方とはそれらを用いることなのだ。(N1a,8)
「器用仕事」も「モンタージュ」も、「万華鏡」的な仕事と言えるだろう。なぜなら「万華鏡」に
おいても、その構造と像は区別できず一体であり、配列し直される断片とその全体である像とが区
別されないからである。あるいは次のように述べている。
たえず生産の働きを生産し、この生産の働きを生産されるものに接ぎ木していく(DG p.13邦
訳19頁)
各々の生産する機械は、文字通り接ぎ木され、完全なる連続はない。そこには「連続と切断」があ
る。ベンヤミンはそれを次のように言っている。
この仕事は、引用符無しで引用する術を最高度に発展させねばならない。その理論はモンタ
ージュの理論ときわめて密接に関係している。(N1,10)
引用符有りの引用は、引用に完全な切断面がある。だが、ベンヤミンの考える引用の術は「引用符
無し」の引用である。それは元々の文脈から切り離されて、新たな連続の中で新しい意味を次々に
生産していく「連続と切断」の諸機械である。ドゥルーズ=ガタリを再び借用する。
「連続する流れ」と「本質的に断片的なまた断片化した部分対象」との間に、欲望は絶えず
連結を実現し続けることになる。(DG p.11邦訳 17頁)
こうした欲望の「連続と切断」を、ベンヤミンはモードという具体的な例を挙げ、ジンメルを引用
する。
一つの服飾商品がどこかで生まれて、それがやがてモードになるのではなく、服飾商品はモ
ードになることを目指して作り上げられる(B7,7)
ある一つの商品はモードを目指す点では「連続」的だが、モードである商品と同時にモードである
ことはできないという「切断」された「連続と切断」の関係にあることを指摘している。

b)「登録の生産」の「互換可能性」、ずらされる像

「登録の生産」を説明するためにドゥルーズ=ガタリは次のようなアルトーの「独り言」を用いて
いる。
  私、アントナン・アルトー、この私は私の息子であり、私の父であり、私の母であり、そし
て私である。(DG p.21邦訳 28頁)
「私」は確固たる「私」ではない。「登録の生産」において、「私」は何にでもなり得るのである
。これを、ドゥルーズ=ガタリは次のように分析する。
分裂者は、自分自身の独自の位置を決定する種々の様式を意のままに用いる。(中略)錯乱
〔妄想〕するコードあるいは欲望するコードは、並はずれた流動性を示すものである。分裂
症患者はひとつのコードから他のコードへと移行し、次々と提起される質問に応じてすばや
く滑ってゆきながら、一切のコードをかきまぜてしまうのだ。(DG p.21邦訳 28頁)
つまり「私」は、常にずらされ、錯乱し、妄想するコードを滑る分裂者なのである。他方、ベンヤ
ミンにとって「パサージュ」は、次のように述べられている。
パサージュは、元々は商売の目的に使われるものであったのに、フーリエにあってはそれが
住居になっている。(GS 5-1 S.47)

家であるとともに道路であるパサージュ。(GS 5-1 S.55)

上から光を受けるこの通路の両側にはきわめてエレガントな商店が立ち並んでいる。そのよ
うなパサージュはひとつの都市であり、小宇宙である。(A1,1)
「商店であり住居」、「家であり道路」である両義的な「パサージュ」は、アルトーにとっての「
私」である。つまりアルトーにとっての「母」と「私」の互換可能性は、都市であるパリと「パサ
ージュ」の互換可能性である。「部分と全体」の区別など無く、「私」であると同時に「母」であ
るアルトーのように、ベンヤミンにとって「パサージュ」は、パリであり、近代である。「これで
あれ、あれであれ」という「離接的綜合」の働きはこうした両義性なのである。「万華鏡」の中に
ある、セルロイド屑や糸切れ、金属片は相互に自由に結びつき、ある位置でのセルロイド屑と糸切
れの関係は、次の瞬間には糸切れと金属片の関係にずらされてしまう。「万華鏡」では、一切のも
のが「互換可能なる体系」(DG p.18邦訳 25頁)のもとにある。

c)「消費の生産」の非「自己同一性」、永遠との離反
「消費の生産」は、「生産の生産」と「登録の生産」の結果生み出されてくるものである。「消費
の生産」が「常に欲望する諸機械の傍らにあって、生産されたものからいかなる取り分を吸収する
か」(DG p.23邦訳 30頁)に拠っていて,自己同一性を持っていないということは、ベンヤミンにと っての「万華鏡」に一瞬現れる像と対応している。無数の断片の引用は、「万華鏡」を回す度に「万
華鏡」の内部で鏡の上を滑り、それらの断片と鏡が綾なす真の姿などと言うものは決定できないの
だ。

永遠の真理という概念とはきっぱりと離反するのが適切である。(N3,2)

「万華鏡」的な無数の断片の引用は、すぐ次の瞬間、「新たな秩序へと崩壊する」のだから、「永
遠の真理」などはありえない。「万華鏡」の像は、それを回す度に次々に浮かんでは消えるのであ
る。「消費の生産」は「器官なき身体」の表面の離接を介して、残余の中にしか姿を現さない。そ
れと同様に「弁証法的形象」も、ベンヤミンが構想していた「モンタージュ」の方法によれば、無
数の断片の「万華鏡」的な引用なのである。

d)「欲望する生産」と「器官なき身体」、「弁証法的形象」と「万華鏡」、そして/あるいは「リゾーム」
無意識の働きである「欲望する生産」は「器官なき身体」に依存している。それと同様に、ベンヤ
ミンにおける「弁証法的形象」は、「万華鏡」の構造なくしては垣間みることができないことはす
でに確認した。パサージュにおける具体的な鏡の効果について、ベンヤミンは次のように述べてい
る。

鏡を使って街路という戸外の空間をカフェに取り込む方法は、複数の空間を交差させるやり
方の一つであり、それは遊歩者をとりこにせずにはおかない光景である。(R1,1)

鏡は、戸外と室内の空間を交錯させ、その区別を曖昧なものにしてしまう。また、次のように述べ
ている。

パサージュが鏡にあふれており、そのために空間が信じられないほど拡張され、それだけに
方向を定めるのが困難になるということ。(R2a,3)

「パサージュ」を歩く遊歩者は、あふれる鏡によって幻惑され、自ら意識したのではなく空間が拡
張されたと感じてしまう。遊歩者は歩くことで視点が移動するので、無意識のうちに見せられる像
は、万華鏡の像のように次々と立ち現れては消えていく。この情景を思い浮かべると、無数の鏡で
できた「万華鏡」が「弁証法的形象」を次々に作るというベンヤミンの方法が、具体的に理解する
ことができる。

以上のようにして、「欲望する生産」、「器官なき身体」と重なり合うベンヤミンのこうした認識
の方法、すなわち「万華鏡」と「弁証法的形象」は、「リゾーム」として読み直すことができるだ
ろう。

4.結論都市と記憶

『パサージュ論』は、「部分」である「パサージュ」を取り上げながら、近代都市パリの夢の中に
抑圧された集団の記憶を解読する試みであると同時に、都市をその典型とするところの「全体」で
ある近代を読み解く試みであった。こうした試みは、その夢の記憶の中へと自己を没入してしまう
様に感じられるが、実はベンヤミンの方法は、過去を現在に衝突させ、歴史の「連続と切断」を明
らかにして、抑圧されていた記憶を我々の方へと引き寄せる方法なのである。本論で言及したラカ
ン、ドゥルーズを通じて明らかになったのは、ベンヤミンの「弁証法的形象」は言語をきっかけに
して、「連続と切断」、「部分と全体」という「リゾーム」的な理解を可能にする「無意識」ある
いは「記憶」のダイナミクスであるということである。

以上のようにして、ヴィーグマンにおいては視界に入っていなかったラカン、ドゥルーズ=ガタリ
という精神分析の流れをベンヤミンの後期歴史理論に適用した本論文は、フロイトとベンヤミンの
関係を論じたユタ・ヴィーグマンの著作に対し、「連続と切断」、「部分と全体」といった「リゾ
ーム」的な諸概念でもってベンヤミンを理解するという新たな視点をつけ加えることができたと考
える。

参考文献


Benjamin,Walter: Gesammelte Schriften.Bd.1-7.Unter Mitwirkung von Theodor W. Adorno und Gershom
Scholem.Hrsg. von Rolf Tiedemann und Hermann Schweppenhauser,Suhrkamp Verlag,Frankfurt a.M.1972-1989.〔
本文中では、GSと略し、巻番号、ページ数をつける。例:(GS 1-1 S.1)は、当全集、第1巻1分冊、1頁であることを示す。ただし、第5巻の『パサージュ論』中の『メモと素材』(Aufzeichnungen und
Materialien.S.83-989)は例外的に分類番号でこれを示す。例:(A1,1)〕
Deleuze,Gilles & Guattari,Felix: L'ANTI-OEDIPE.Les Edition de Minuit,Paris,1972.〔本文中では、DGと略し、ページ数をつける。既訳を一部変更の上使用させていただいたので、併せて、邦訳のページ数も示す。
例:(DG p.1邦訳 1頁)は、原著1頁、邦訳 1頁であることを示す。〕
Wiegmann,Jutta: Psychoanalytische Geschichtstheorie.Bouvier Verlag,Bonn,1989

この文章はあくまでも概要です。御連絡頂けましたら,論文を送らせて頂きます。また,読んで頂いた皆
様に,是非,ご教授,ご批判賜りたく,よろしくお願い致します。なお文中のスペルにつきましては,フ
ォントの都合上独仏文字が出ていない場合がございます。

都市と記憶─ベンヤミンのベルリン

http://ziggy.c.u-tokyo.ac.jp/files/lecture2.html

●ヴァルター・ベンヤミン(1892〜1941)
ドイツの批評家・思想家
著書・論文:『パサージュ論』、『複製技術時代の芸術作品』など
ベルリン生まれ、パリに亡命、逃亡途中に自殺

●ベルリン論としてのエッセイ
『ベルリン年代記』
『1900年前後のベルリンの幼年時代(Berliner Kindheit um Neunzehnhundert)』
1932〜38年に執筆、死後発表
ベルリンにおけるベンヤミンの〈幼年時代〉であるとともに、ベルリンという都市そのものの〈幼年時代
〉としての世紀末
→20世紀における大都市ベルリンの変貌(『一方通行路』)
〈ティーアガルテン〉〈皇帝パノラマ館〉〈凱旋記念塔〉といった都市の風景と幼年時代の記憶が密に結
びついている=記憶が都市空間として物語られる

●遊歩者の都市論
「ある都会で道がわからないということはたいしたことではない。だが、ちょうど森のなかをさまよい歩
くときのように、都会をさまよい歩くということには、習慣が必要なのだ。」→この〈習慣〉の獲得の過
程を想起しようとする営み
さまよい歩くこと=遊歩が都市読解の方法である
いつも母親の半歩後ろを、のろまで不器用なように遅れて歩いてみせる〈夢想的レジスタンス〉、「この
レジスタンスのおかげで・・・いまも都会の街に対する私のつき合い方の基本になっているものを得たのだ
。」→都会的な速度からテンポをずらすこと=ラグ・タイム

●〈住むこと〉の貧困
「歩廊がいまも私に近しいのは・・・歩廊が居住性を持たないということに、自らもすでにきちんと住み着
くことのできなくなっている者が感じる慰めのゆえであろう。ベルリン子の住居はこの歩廊を境界として
いる。ベルリン─都会の神自身─は歩廊において始まる。」→通過のためだけの、居住性のない空間とし
ての歩廊=パサージュのミニアチュール
→〈住むこと〉の貧困
→エッセイ『経験の貧困』:第一次世界大戦後の文化意識の変容
→ブルジョアの室内の〈居心地の良さ〉(さまざまなコレクションによる〈個性〉の痕跡)の拒否→パウ
ル・シェーアバルトの〈ガラス建築〉(→ブルーノ・タウト)図1・2・3

●都市の無意識
「素面の、騒音にあふれたベルリン、労働の都市、商業の首都ベルリンには、他の多くの都会に劣らず、
むしろそれ以上に、この都会が死者たちを証しし、死者たちで埋まっていることを示す場所と瞬間がある
。こうした瞬間と場所に対するおぼろげな感覚が、おそらくほかの何ものにもまして幼年時代の思い出に
、ちょうど半ば忘れかけた夢のように、なかなかとらえがたいけれども同時に誘惑的で胸苦しいような性
質を与えるのであろう。」
→都市の奥深くに存在する死者の領域=都市の無意識
「大地が死滅した都市が埋もれている媒体であるのと同じように、記憶は体験された過去の媒体である。
埋もれた自分の過去に近づこうと努める者は、発掘する男のような姿勢をもたねばならない。・・・事実関
係は単なる成層であり地層であるにすぎず、おそろしく綿密な探求によってはじめて、そこから、地中に
隠れている真に価値あるものを確定するあのイメージが取り出せるのだ。」
→事実関係ではない、過去の〈イメージ〉の発掘としての想起

「追想の扇をひとたび開きはじめた者は、次々と新しい節々を、新しい骨を見いだし、どのイメージも彼
を満足させない。なぜなら彼は、そのイメージがさらに自らを展開(entfalten)させることを見抜いてし
まっているからだ。いくつもの襞(Falten)にこそ本質(das Eigentliche)はある。つまり、そのためにこ
そ、われわれがこうしたすべてを分割し、展開してきたあのイメージ、あの味覚、あの触覚があるのだ。
そしていまや追想は、小さなものから微細なものへ、微細なものから極微のものへと進み、こうしたミク
ロコスモスで追想に立ちはだかるものはいっそう強力になっていく。」
→19世紀という時代を追想/想起する試みとしての『パサージュ論』へ

「一匹の軟体動物が貝殻を住みかとするのにも似て私は19世紀を住みかとしていたのである。その19世紀
は、いまでは貝殻そのもののように空になって私の前にある。私はそれを耳に当ててみる。」

2. 都市と夢─ベンヤミンのパリ


●『パサージュ論』:未完の19世紀フランス、パリ研究:断片的引用とメモの集積
〈19世紀の首都〉としてのパリ:19世紀という時代の首都としてのパリ
都市論でありメディア論、文学論、認識論、革命論・・・
覚え書テーマの一部:
パサージュ、モード、カタコンベ、オスマン式都市改造、鉄骨建築、セーヌ川、ボードレール、夢の街と
夢の家、博物館、遊歩者、売春・賭博、パリの街路、パノラマ、さまざまな照明、コミューン、無為、サ
ン=シモン、フーリエ、マルクス、倦怠・永遠回帰、グランヴィル、博覧会・広告、蒐集家、室内・痕跡
、鏡、絵画、写真、ドーミエ、文学史、複製技術、理工科学校

「19世紀とは、個人的意識が反省的な態度を取りつつ、そういうものとしてますます保持されるのに対し
て、集団的意識の方はますます深い眠りに落ちてゆくような時代(Zeitraum)(ないしは、時代が見る夢
[Zeit-traum])である。・・・この集団はパサージュにおいておのれの内面に沈潜していくのである。われ
われは、この集団をパサージュのうちに追跡し、19世紀のモードと広告、建築物や政治を、そうした集団
の夢の形象の帰結として解釈しなければならない。」
→集団の夢としての19世紀
「パサージュと室内空間、博覧会場とパノラマ館はためらいの時代の産物である。それらは夢の時代の残
滓なのである。」
→集団の住居としてのパサージュ(図1・2・3・4)
「集団は永遠に不安定で、永遠に揺れ動く存在であり、集団は家々の壁の間で、自宅の四方の壁に守られ
ている個々人と同じほど多くのことを体験し、見聞し、認識し、考え出す。・・・他のどんな場所にもまし
て、街路はパサージュにおいて、大衆にとって家具の整った住み馴れた室内であることが明らかになる。

→街路でありながら、すでに交通は滞り、商品世界の眩惑が消費者たちを捕らえて離さないパサージュ=
外部をもたない内部、純粋な室内=夢の構造
「パサージュは外側のない家か廊下である─夢のように。」

「パノラマ(図1・2←→パノプティコン)に関する関心は、真の町を見ることにある─家の中の町。窓
のない家の中にあるものは、真なるものである。ところで、パサージュもまた窓のない家である。パサー
ジュを見下ろす窓は、桟敷席のようにはそこからパサージュを覗き込むことはできるが、パサージュから
は外を覗くことはできないものである。(真なるものには窓がない。真なるものは決して世界には開かれ
ていない。)」
→〈モナド〉(ライプニッツ)としてのパサージュ
→バロック的空間としてのパサージュ→ジル・ドゥルーズのバロック論『襞』

●夢のトポロジー
「倦怠とは、内側に華やかで多彩な絹の裏地を張った暖かい灰色の布地のようなものである。われわれは
夢見るとき、この布地にくるまれている。そのときわれわれは、この裏地のアラベスク模様のうちでやす
らっているのだ。しかし、くるまれて眠っている本人は外からは灰色に、そして倦怠を覚えているように
見える。そして、彼が眼を覚まし、夢見たことを語ろうとすると、伝えられるのは大抵はこの倦怠だけな
のである。というのも、時間の裏地を一挙に表側にかえすことなど誰にできようか。ところが夢を語ると
いうのは、まさにそれをすることなのだ。そして、パサージュについてもそのように扱うほかない。パサ
ージュはそのなかでわれわれが、われわれの両親の、そして祖父母の生をいまいちど夢のように生きてい
る建築物なのだ。ちょうど胎児が母親の胎内で、動物たちの生をいまいちど生きているように。こうした
空間のなかの生活は、特に何のアクセントもなく、夢のなかのできごとのように流れていく。遊歩こそは
このような半睡状態のリズムである。1839年パリで亀が流行した。粋な連中にとって、大通りでよりパサ
ージュでの方が、この生物の歩行テンポを真似しやすかったことは、十分に想像できる。」
→『パサージュ論』は〈19世紀からの目覚め〉を扱う
→〈目覚め〉のとき=外部のない夢の内部がトポロジカルに転換され、夢という絹の裏地と灰色の布地と
が一挙に消え去って、まったく別の何かに変容してしまう瞬間

『ベルリンの幼年時代』の思い出:箪笥の奥にしまいこまれた靴下を使った遊び
→丸められ包み込んである靴下の〈袋〉と〈中身〉が一挙に一体化してしまう
「こうしてわたしは、あの謎に満ちた真理、つまり形式と内容、包みと包まれたもの、〈中身〉と袋とは
一体であるという真理を、何回繰り返して試してみても飽きることはなかったのだ。それらは一体であっ
た─それでいて第三のものだった。なぜなら、あの靴下はそれら両方が変化したものにほかならなかった
から。」
この靴下こそが夢の構造→〈第三のもの〉としての〈イメージ〉
→19世紀という夢からの目覚め(『パサージュ論』の目的)とは、歴史のイメージを見いだすこと=つま
らない時代遅れなもののなかにも歴史の〈襞〉を見出し、その襞を際限なく展開していくこと
→襞の内部にはまた襞があり、その内側にはさらにまた襞がある。内部へむけて無限に反復されて折り畳
まれたこれらの襞を広げていくたびに、そこにあらたなイメージが生み出される=靴下を展開する子供の
遊びを真似ること

埋もれた事実の発掘や落ち穂拾いに似た歴史の掘り起こしが目的ではない
→都市の表層にとどまって、そこにたち現れている両義的、多義的な〈イメージ〉を浮かび上がらせてい
くこと
「どの時代にとっても次の時代はさまざまなイメージをとって夢のなかで現れる。・・・階級なき社会につ
いてのさまざまな経験は集団の無意識のなかに保存されていて、こうした経験こそが新しきものと深く交
わることによってユートピアを生み出す。このユートピアはながく残る建築物から束の間の流行にいたる
までの、人間生活の実にさまざまな形状のうちにその痕跡をとどめている。」
→20世紀の首都としてのニューヨーク、その夢とユートピアの読解としてのレム・コールハース『錯乱の
ニューヨーク』

Benjamin Gould McLuhan 6/6/1997
Media Workshop Open Forum

http://torch.icu.ac.jp/inetwg/T/6-6.html


I. Benjamin, Gould, McLuhanとは何者なのか

Benjamin, Walter (1892-1940)
ドイツ(ユダヤ系)の批評家・翻訳家。独特の批評理論を構築。『ゲーテの親和力』1924、『ドイ
ツ悲劇の根源』1928、『複製芸術時代の芸術作品』1936、『歴史の概念について』1940
Gould, Glenn (1932-1982)
カナダのピアニスト。31歳にしていっさいのコンサート活動をしないことを宣言、以後レコーディ
ング活動に専念した。
McLuhan, Marshall H.(1911-1980)
カナダの社会学者。独自のメディア論を展開し、メディアは、人間の心的ないし身体的能力の拡張
であると主張。『グーテンベルクの銀河系』1962、『人間拡張の原理』1964

II.勉強会のテーマ

ベンヤミンの『複製芸術時代の芸術作品』、グールドによるバッハの『ゴールドベルク変奏曲』のレコー
ディング、マクルーハンの『メディア論』の3者みられる共通項から、ポストモダンにおけるアートとメ
ディアの関係を探る。

III.3者の関係

Benjamin --> Gould
グールドは、ベンヤミンが唱えた脱近代的芸術の形態を実現し、それによって成功をおさめた。
Gould --> McLuhan
グールドの芸術のスタイルは、結果的に、マクルーハンの唱えたメディアによる身体の拡張を実現
した。同時にグールドはマクルーハン批判も行っている。
Benjamin --> McLuhan
ベンヤミンやフランクフルト学派によるメディアの批判的研究は、戦後、メディア研究の理論的な
礎となった。

IV.配布資料
ベンヤミン、ヴァルター、浅井健二郎監訳、久保哲司訳、「複製芸術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コ
レクション1近代の意味』、ちくま学芸文庫、1995、pp586-599, 624-629
浜日出夫「グールドとマクルーハン」、『岩波講座現代社会学22メディアと情報化の社会学』、岩波書
店、1996、pp97-112
吉見俊哉、水越伸「メディア論」、放送大学教材、1997、pp28-29

V.参考文献

野村修「ベンヤミンの生涯」、平凡社、1977
清水多吉「ベンヤミンの憂鬱」、筑摩書房、1984
オットー・フリードリック著、宮沢淳一訳「グレン・グールドの生涯」、リブロポート、1992
ミシェル・シュネデール著、千葉文夫訳「グレン・グールド孤独のアリア」、筑摩書房、1991

複製芸術と近代からの物語

http://animus.doshisha.ac.jp/animal/walter.html

小川 賢
(Masaru OGAWA 1993年卒業)
manuscript received in Jan. 1996

複製技術

 現代の特徴であるコピー技術は最初から複製、再生産されることが前提となっているが、その発端を近
代にみることができる。ヴルター・ベンヤミン(1)は、下部構造の変化−複製の技術革新と大衆層の参
加−が、上部構造の芸術に決定的な影響を与えると考えた。大量のオリジナルを産み出す複製技術は、あ
る意味で時間、空間を越えた芸術を可能にし、マルローの「空想の美術館」(2)を現実にしたといえよ
う。このような展示価値が増すにつれ、「いま」「ここに」しかないというアウラの概念と結び付いた礼
拝価値は失われていく。もともと呪術や宗教儀式から発していたアウラは、創造性や天才性あるいは芸術
の自律性の中で次第に薄れていき、複製によりその最終通告を受けたのだ。逆に一回性のオリジナルの源
であったアウラが消えることで、大量のオリジナルが可能になるともいえる。

 ベンヤミンはまた、映画において俳優は小道具、観客はパブロフの犬としてテストを受けているかの如
く述べている(3)。これは、かつての作品鑑賞が対象と距離を保ちやがて自らの内のものとしたのと対
照的に、理解の間もなく瞬時に対象に引き込まれていくことを意味するのだろう。ここで、M.マクルー
ハンの「メディアはメッセージ」を思い出すことができる。メディア−ちょうど文法のように、内容がな
い故に意識されず関与し規定する−が、人間の深層に関与を引き起こすのを、マクルーハンはシェークス
ピアからの抜粋により説明している。

 「だが、しっ、あの窓から洩れる光はなんだ。なにか話している。けれどもなにも言っていない。」(
4)

 そしてベンヤミンは、写真の解説や映画における「その影像に先行する一連のシークエンス」によって
、受取り方が一定方向に規定されることを指摘している。写真に解説が付けられるのは、その対象物を物
理的にそのまま記録することに理由がある。ロザリンド・クラウスは、R.バルトの<コードなきメッセ
ージ>を引き次のように述べている。「写真の感光剤そして印画紙に自らを刻印するのは、自然界の秩序
にほかならない。転写あるいは痕跡としての特質は、写真に記録としての地位、否定し難い真実性を付与
する。だが同時にこの真実性は、言語にとって必然的特質たる内部調整の可能性のらち外にある。」(5


 言葉により分節されていないイメージは、テクストを付け加えることで新たな方向付けを可能にする。
つまり複製は概念化されていないイメージを真実のものとしてたやすく作り出し、別の文脈においての意
味付けを可能にするのだ。この新たに方向付けられたイメージは疑似でありながら、それは真実として提
示されるだろう。

シニフィアン

 ここで、J.ボードリヤールのハイパー・リアリズムあるいはシミュレーションという言葉を使うこと
ができよう。それは本物/偽物、現実/虚構の区別が不可能であり、オリジナルとは無縁の記号の世界で
ある。それはまた幼児が同じ単語を何度も繰り返しているうちに、わけがわからなくなってしまうような
世界でもある。すなわち、ソシュールが一枚の紙にたとえた結合のモデル(シニフィアン/シニフェ)と
は異なり、シニフィアン(この場合は音声)のみが連鎖するモデルといえよう。シミュレーションの世界
は、概念あるいは意味の荷重から自由となった記号(シニフィアン)が「目眩」を感じるほどの連鎖を繰
り返す空間である。

 それは、現代美術という領域においてもみてとれよう。例えばオブジェは、まさに物質、シニフィアン
そのものであり、かつて現実とを結び付けていた模倣や象徴によっては意味されない。またよくいわれる
ように、アンディ・ウォーホルは複製品あるいは複製となったイメージを二重化し反復することで記号を
純化している。

 そしてシェリー・レヴィンの作品が、起源としてのオリジナリティをも否定するものとしてクラウスと
クレイグ・オーウェンス(6)により揚げられているが、この作品は著作権侵害と文化的イメージの再現
の間に位置することに意義がある。それが示すのは、複製が反復されると言語のように記号化し著作権や
起源を問うことがナンセンスとなることだ。オーウェンスはこの作品をモダニストのシニフィアンの自律
性を目指すものではなく、シニフィアンの専制を暴くものとして捉えている。クラウスは、アヴァンギャ
ルド達が反復(コピー)するしかないグリッドを用いながらその起源性、唯一性というオリジナリティに
幻想を抱いていたことを指摘したうえで、レヴィンの作品をポスト・モダン的としている。(7) つま
りモダニストは価値概念を取り払い、物質性の純化を追求するなかでオリジナリティを求めたのだが、複
製の方はオリジナリティの概念を徹底的に無効にし、シニフィアンの自律性を加速させた。この事態に直
面したのが、ポスト・モダンということになろうか。

 クラウスは写真の特性、「指標」をキーワードにしてポスト・モダンの美術を分析している。(8)指
標とはC.S.パースが、対象と記号との関係により分類した中で、対象と事実的に連結し実際に影響さ
れた記号のことである。(9)写真はさきに述べたように対象物そのもの痕跡であるから、指標であるこ
とになる。そしてクラウスは、70年代の抽象絵画が全くかけ離れた画面の写真を操作的モデルとしてい
ることに注目する。 クラウスはP.S.Iという展覧会での荒廃した建物を利用した作品にふれ、2人
の作家−それまでの60年代の例としてエルスワース・ケリー、70年代の例としてルツィオ・ポッツィ
−を比較している。ケリーの作品では、2つの色彩が物理的切り目と合わさることで成り立ち、色と物質
の次元において現実世界とは異なる不連続性が繰り返されている。周囲の場から自由なこの絵画は、その
内部の論理から還元化(分節と反復)し画面上に記号の体系を生み出そうとしている。これに対してポッ
ツィは、指標としての還元化を行っている。壁の特徴がそのままパネル上に移行し記録されるという、写
真の痕跡としての還元化だ。そうすることで、コード化されていない建物自体の現前性(コードなきメッ
セージ)を産み出すことができる。この場合、不連続性を与えるテクストとしての代補は建物の空間的展
開−ベンヤミンのいう映画のシークエンスのように−である。 ケリーも、ポッツィも、そのプロセスに
おいて還元化を行っている。つまり一方をモダニズムの抑圧的エコノミーと呼び、他方を脱構築のポスト
・モダニズムと呼ぶにしても、双方に図像、象徴として意味をなさないシニフィアン、物質性そのものの
を取り出すプロセスが行われている。そしてこの還元化を、前者は内的論理性という絵画のコード化に導
き、後者はアレゴリー的な物語に、という具合になろうか。

「未完のプロジェクト」

 また芸術の領域でのこのような過程は、しかし社会そのものの近代化と類似できよう。つまり我々は近
代化により伝統的概念から自由な個人に還元され、分業など社会の諸々の状況においてコード化され、消
費、社会的コミニュケーションという物語の中に生きているといえば言い過ぎだろうか。

 この物語に複製のおかげで芸術作品は頻繁に登場している。広告・宣伝、投機の場、キッチュ、スノッ
ブとして、等々。彼らが語るのは消費の神話だろうか。消費の神話をプリントしたポップは、芸術の役割
を演じているか。また非生産的な消費は社会的コミュニケーションの場となり、そこでは礼拝的価値を復
活させる。例えばポップ・ミュージックにおける、トップテン・アイドル、天才的ギターリスト、伝説の
ロック・バンド等々。これらを芸術とするか否かは結局、個人の趣味の問題というブラック・ボックスの
中に消えるだろう。そして美術館は、今やマルローの「空想」どおりに新旧の世界の様式−漫画までも−
展示、共存可能となっている。しかしその際何を美とし、何を我々の文化とするのかは、また鑑賞者(利
用者)の趣味の問題なのか、あるいは分業としての専門家の仕事なのだろうか。

 これに関して、コミュニケーション論のJ・ハーバーマス風に考察してみよう。もともと何を美とする
かという趣味判断は、範例的で言語ゲームのようにそのコードの習得が前提となっているといえよう。し
かし芸術の領域が制度化、分業化され、そのコードが芸術の自律性の領域内でのみ流通するとき日常生活
のそれとは決定的にかい離するだろう。ハーバーマス(10)によると、かつての啓蒙時代、芸術の自律
性も文化領域全体の中の一つであり、各々の自律した領域の中で蓄積した潜在力を日常の生活世界へ解き
放つことを目指していた。この意味においてハーバーマスは、「近代(モダニティ)」がまだ完遂されて
いないとし、その「啓蒙のプロジェクト」を堅持すべきだと唱えている。そして、ラディカルで啓発的に
芸術を受容する一例(ペーター・ヴァイスの「抵抗の美学」からの描写として)をあげている。

「かれらは、夜間学校に通いながら、ヨーロッパ芸術の一般史や社会史に踏み入るための知的手段を獲得
した若者たちである。かれらはベルリンの美術館で何度も芸術作品を見、そこに体現されている客観精神
という弾力性をもつ建造物から自分たちの石片をとりだし、それらを集めて、かれら自身の地平の文脈で
それらを比較するのである。この地平は伝統的教育のそれからも、したがってまた現存する体制のそれか
らも、はるかにかけ離れたものである。これらの若者たちは、ヨーロッパ芸術という建造物とかれら自身
の地平の間をその両方を明らかにできるまで、行ったり来たりするのだ。」(11)

 ハーバーマスは文化領域のみならず資本主義的近代化を含めた自律的システムが、生活世界という日常
的実践において再結合されることを説いている。他の自律的領域と同様に芸術はそのコードの習得を要求
するが、個々人の地平という生活世界での実践と結び付くとき「近代(モダニティ)」という未完のプロ
ジェクトを達成へ導くだろう。ここにおいて言語ゲームが正当に機能し、日常の地平における選択−何を
美とし、文化とするか等々−を通じて、複製芸術、さらにはシニフィアンの自律という近代の物語も正し
く読まれるのかもしれない。



(1)Walter Benjamin, The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction,1936(高木久雄、高原宏平訳『複製技術時代の芸術』晶文社、1970年)
(2)Hal Foster, The Anti-Aesthetic /essays on postmodern culture,1983(室井尚、吉岡洋訳『反美学』けい草書房、1987年)訳書 pp.94−96
(3)上掲書『複製技術時代の芸術』pp.24-25,pp.27-28,pp.50-51
(4)Marshall McLuhan, Understanding Media:the extensions of man,1964(栗原裕、河本仲聖訳『メディア論』みすず書房、1987年)訳書 p.9
(5)Rosalind E Krauss, The Originarity of the Avant-Garde and Other Modernist Myths,1985(小西信之訳『オリジナリティと反復』リブロポート、1994年)訳書 p.171
(6)上掲書『反美学』5章
(7)上掲書『オリジナリティと反復』 pp.135-136
(8)同書 pp.170−176
(9)同書 p.252
(10)上掲書『反美学』1章
(11)同章 p.34

ほうとう先生の自省式社会学感覚

http://www.asahi-net.or.jp/‾BV6K-NMR/lec63.html
第63回
第18章 音楽文化論[全4回]
18-3 複製技術時代
 いよいよ20世紀音楽の話です。

■一九二〇年代

 十九世紀的な「近代的聴衆」による「集中的聴取」という音楽とのかかわり方がくずれてくるのは二十世紀初頭、正確には一九二〇年代である。

 では、この時代になにがおこったのか。

 この時代、じつは自動車・飛行機・冷蔵庫・摩天楼など高度な科学技術がいっせいに開花した時代なのである。そして音楽にとって重要なのは、なかでも「複製技術」の出現である。具体的には、ラジオ放送の開始・蓄音器の発達とくに電気録音技術の完成・自動ピアノ[再生ピアノ=演奏家の演奏をそのまま紙のロールに記録して再生するピアノ]の流行などが二〇年代いっせいに花開く。ちなみに写真・映画の隆盛もこのころからだ。

 ヴァルター・ベンヤミンは、この時代から本格的にはじまった新しい文化の時代を「複製技術時代」と呼んだ。●1
●1 ヴァルター・ベンヤミン、高木久雄・高原宏平訳「複製技術時代の芸術作品」ヴァルター・ベンヤミン著作集2『複製技術 時代の芸術作品』(晶文社一九七〇年)。

■複製技術時代の芸術作品

 ベンヤミンは、それまでの芸術体験がもっていた特性を「アウラ」(Aura)と呼んだ。「アウラ」とは「一回起性」または「一回性」という意味で、「〈いま〉〈ここ〉でしか体験できないこと」「オリジナルならではのなにものか」といった感じだ。かれは「アウラ」を「どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象」と定義する。●2 いいかえると、アウラは独自性と距離と永続性の三つの次元
をもつ。たとえば、ミロのヴィーナスのように、それは他にかえがたいものであり(独自性)それゆえ身近なものとはなりえない(距離)。しかもそれは時間を超越して人びとの心をうつ(永続性)。
●2 前掲訳書一六ページ。
 複製技術時代以前の音楽作品の場合、「アウラ」はどのようなものか。ザィデルフェルトはそれをつぎのようにのべている。かつて音楽の愛好家が好きな作品に接するチャンスは非常に少なかった。「したがって、音楽を聴きに出かけるということは、気分を浮き浮きさせるような体験(独自性)だったに違いない。そしてその体験は、記憶のなかで、以前聴いた素晴らしい演奏と容易に結びつけられたことだろう(永続性)。さらに、その音楽を本当に知るようになる、つまり心に焼き付けておくための唯一の方法は、楽譜(たいていはピアノ用に編曲されていた)を購入して、あれこれピアノで弾いてみることだけであった(距離)。」●3 ●3 A・C・ザィデルフェルト、那須壽訳『クリーシェ--意味と機能の相剋』(筑摩書房一九八六年)六八ページ。

 ところが、写真・映画・蓄音器などの複製技術は、絵画・演劇・演奏会のもっていた「アウラ」を完全にうしなわせた。だから、ベンヤミンは、複製技術時代における芸術の特徴は「アウラの喪失」であるとし、もはや芸術作品は礼拝のように鑑賞されないと論じた。●4 ●4 ベンヤミンの論じた「アウラの衰退・喪失」は、ウェーバーの論じた「カリスマの日常化」とよく似ている。前掲訳書六一
−六三ページ。ザィデルフェルトは、このなかで「アウラの衰退」を売買行為や商品に拡大して論じている。それによると、小規模生産販売をモットーとするブティックや自然食品販売店、またコックのカリスマ的腕前を売りものにする小さなレストラン は、アウラの喪失した消費社会のなかでアウラを回復しようとする試みと位置づけることができるという。前掲書六七−六八ページ。

 音楽作品の場合、一九二三年に売り上げのピークを迎えるロール式の自動ピアノが、ひとつの複製技術時代の幕を開いた。●5 一方、マイクロフォンによる電気録音技術が一九二四年にベル研究所によって開発され、翌年大手のレーベルからレコードが発売された。またラジオは一九二〇年に民間放送がはじまり爆発的な人気をえたという。●6●5 渡辺裕、前掲書七五−八八ページ。
●6 このあたりのくわしい事情については、細川周平『レコードの美学』(勁草書房一九九〇年)七七ページ以下参照。

 このような複製技術時代のはじまりとともに音楽の受け手も、もはや十九世紀的な「集中的聴取」をする「近代的聴衆」ではなくなった。
音楽はもっと日常的なものになった。ベンヤミンのことばを借りると「散漫な受け手」として、音楽が消費されるようになったのである。
●7 ●7 ベンヤミン、前掲訳書四三−四四ページ。

■音楽の変容

 こうした新しい聴き方に当時いち早く敏感に対応した作曲家が、最近ブームになったエリック・サティだった。サティの提唱した「家具の音楽」は、たとえば「県知事の執務室の音楽」とか「音のタイル張り舗道」といったタイトルが示すように、要するにコンサート・ホールで芸術作品として演奏される音楽ではなく、BGMとして日常の環境のなかで耳にする音楽である。しかも、今日のミニマル・ミュージックのように短いモチーフを何回もくりかえすというもので、まったく新しい聴取のあり方を先取りしたものだった。●8
●8 渡辺裕、前掲書一〇七−一〇九ページ。

 また、複製メディアに適合した音楽形態として、このころ隆盛したのが、ブルースやデキシーランド・ジャズ、ささやくように歌うビング・クロスビーなどのいわゆる「ポピュラー音楽」だった。ラジオとレコードによってポピュラー音楽は大衆の人気を博した。

 これ以降、音楽の生産と消費の構図はがらっと変わることになり、わたしたちにとってなじみ深い身近な音楽が豊富にあふれる時代になる。

【ソキウス】見識ある市民のための社会学リファレンス
Edited and Scripted by Kazuo Nomura @SOCIUS(http://www.asahi-net.or.jp/‾bv6k-nmr/)

博士課程研究計画

http://www.mma.mag.keio.ac.jp/kame/Doctor/plan9706.html
1997.6.24 亀田丈夫
1.研究の領域

私は「記憶」というものに興味を持っている。人間の存在にとって「記憶」とは何なのか。
哲学者のアンリ・ベルクソンは、脳に貯蔵された情報のようなものとしての記憶は存在せず、物質と記憶の間にもう一つ別種のものがあるとしてそれを「イマージュ」と呼んだ。認知学者のジャームス・ギブソンは、物質でも精神でもない中間的な現象のことを「アフォーダンス」と呼び、人間は環境とのインターアクションの中にアフォーダンスを探ることで様々な行動を規定していると主張した。「イマージュ」「アフォーダンス」はともにプロセスの中に現われる記憶のダイナミックな姿であり、それは「映画」という新しい知覚の装置の発見によってさらに細かく論じられるようになる。哲学者のジル・ドゥルーズは、ベルクソンの「物質と記憶」のイマージュ論に基づき、映画に表現された動く画像だけが伝えることのできる世界について議論している。
我々はこれまで動く映像を映画を通してしか知らなかったが、近年のコンピュータ技術の発達は「CG」という人工的な映像を生み出した。さらにリアルタイムなCGである「VR」は、いままでは分析することのできなかったプロセスの中の存在というものを、我々が操作できるかたちで展開していける可能性を持っている。
私は博士論文を書くに当たり、ハイエンドのコンピュータグラフィックスの研究、アフォーダンスによる認知の研究、映画論に集約される映像メディアの研究、およびベルクソンやベンヤミンが扱った記憶論の研究といった領域を踏まえ、記憶を検証する新しいメディア作品を作りたいと考えている。

2.研究テーマ
「ベンヤミンのパリ -場所と記憶 -」
ベンヤミンが「パッサージュ論」等で論じた19世紀および20世紀のパリをVR空間内に構築し、それをどのように体験するかとい うシナリオ/ストーリーを作る。そして参加者が驚きや発見、感動などの体験を通じて「場所と記憶」の問題について新しい思考を始められるような作品を製作することを目標とする。

3.研究へのアプローチ
(1)クオリティ&インタラクション
記憶を喚起するような空間の表現には、いかにプレゼンス(そこに居る感覚)をデザインするかが問題になる。プレゼンスを生むVRのポイントは、画面の描き換え率(フレームレート)を一定に保ちつつ、いかにクオリティの高いグラフィックスを実現するかである。
この問題へのアプローチにはハードとソフトの二つの側面がある。ハード的にはディスクやメモリの使い方、CPUやプロセスの管理の問題などを含めてマシンの性能を最大限引き出すよう最適化をする必要がある。
またソフトウェアの面からこの問題を解決するために LODや Culling、 Database Switchingなどのテクニックを使用するが、これらの技術はそれぞれをより最適化するための研究が必要とされる。さらにMipmap Textureや Clipmap Textureといった新しい技法も取り入れていく必要があると考えられる。

(2)パフォーマンス・アニメーション
VRの中で生きた空間を構築するためには、人間や生き物などをいかに表現するか、ということが大きな問題になってくる。現在、Keyframeを使ったアニメーションや、Motion Captureによる動きの取り込みが主流であるが、いずれも十分な表現力が得られているとは言いがたい。
アフォーダンスの分野では「キネマティックス」という、生物の動きを光学的流動で捉えてそれを数式で表わすことのできるような研究も進んできている。そうしたアルゴリズムをプログラミングに取り込むことができれば、よりリアルな人間の表現を実現できると思われる。この問題にも取り組んでいきたい。
また、ある種のメンタルモデルを持ったヴァーチャル・アクターをデザインし、それらとのコミュニケーションをデザインすることで、ダイナミックなドラマを展開させることが可能になる。このための技術として Behavioral Animation、Emotional Posturingといったものにも注目している。

(3)VRシネマトグラフィー
従来のVRでは、3次元の世界は常にたった一つの視点(カメラ)から見られることが多かった。しかし、大画面を前にして複数の人間が体験を共有したり、その空間を使って何かを伝えようとする場合には、複数のカメラをダイナミックに使ったより自由な表現を考えることができる。
ここでは3次元空間を自由に動き回ることのできるパーフェクト・クレーン・カメラをデザインし、映画において蓄積されてきた様々な撮影技法やモンタージュ技法の実験を行って、VR独自のシネマトグラフィーを確立する。
また、VR空間を体験したシークエンスをそのまま記録し、それを再生したり編集したりできるようなシステムを構築する。これにより場所と記憶の問題をより深く考えることができると思われる。 4.製作環境 研究施設としてSFC奥出研究室のスタジオ、および三田キャンパス新図書館地下のHUMIスタジオを利用する。ハードウェアには ONYX Infinite Realityを中心にしたシリコングラフィックス社のワークステー
ションを、ソフトウェアには Iris Performerをベースにしたソフトウェアを使用する。